「近所で家を建てるからと、若いご夫婦が幼いお子さんとあいさつに見えたのよね。でも地鎮祭をしてなかったみたいでね。」と珍しく家にきた娘が言いました。
私のほうが娘の口から「地鎮祭」の言葉が出たことに逆に驚いたのですけれど。
そうねえ、娘ももう不惑の年代も過ぎたんだから不思議でもないかしらねえ?!
そういえば、夕方の報道などで大きな工事をする際には「地鎮祭」をされている光景を見ますけど、私の住む近辺で「地鎮祭」をされているのを見たことないですわ。全ての建設を見たわけじゃないので、たまたまかもですけど。
横から連れ合いが「建売住宅にはだいたい大工さんがおらんやろ。ポンポンポンとマッチ箱みたいなんを積み上げて、家が完成やからな。」と口をはさんできて。大工さんがいらっしゃらないのか、聴いたことがないので間違っていたらすみません。
そない言われたら確かにそうか!なるほど。それで地鎮祭も無しなんや。
私が思い出したのが、娘が就職してしばらくして都内のアパートで独り暮らしをすることになった時のことです。もともと「この家はキャパがないのよねえ。」とつぶやいていた娘です。会社から社宅扱いでアパートの家賃の補助が出ることになり、自分で都内のアパートを探してきたのです。
すぐそばに大家さんの家もあって、戸数も少ないアパートでした。
引っ越しのとき、私も手伝いに行きました。その時に持参したのは「お米と塩」
どなただったか年長の方に教わったのです。「お嬢さんが住むことになる家の水回りにお米と塩を置いて、厄払いをしておいたほうがいいわよ。」と。
台所、洗面所、お手洗いに「お米と塩」を少量置いて「お願いしますね。」と娘の一人暮らしの安全を祈ったものでした。もう4分の1世紀も前のことです。
私など経験したことのない都内のアパートでの若い女性の一人暮らしです。不安がなかったかと言えば、なくはなかったというのが本心ですが。サッサとと一人で決めて行動できる娘に育っていましたので、口をはさむ間もなくトントンと進みまして。
そんな塩とお米って、なんの役に立つんですかと尋ねられたら答えに窮しますね。でも、昔から日本に残っているお葬式の帰りの家に入るまえの「浄めの塩」は今でも残っているのではないかしら?
気休めかもしれないですけれど、無事故・安心・安全を願う昔の人の想いの凝縮したものなのではと想い至った次第です。
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