私が若い頃に歌手の弘田三枝子さんが歌って大ヒットしたので、もちろん歌っていました。
失恋の歌だと思って、悲しい歌詞を歌っていたんです。
がんという病と闘っていらした「なかにし礼」さんは亡くなられましたが。
晩年になってなかにし礼さんが語られた「人形の家」は「満州で家族で暮らしていたところへ、敗戦のために引き上げることになり、散々歩いたあとに貨物列車に押し込まれて日本に帰国するのが命がけのすさまじい体験だった。」と話されていたのをテレビで聞いたのです。「そのときに俺たちは日本という国に捨てられたんだとの憤りを強く感じたんだよ!その思いを書いたのがこの詩なんだよ。」と強い口調で仰っていたのです。そんな深い意味を込めた歌だったの?!と驚いたのは忘れられません。
国に忘れ去られて、置き去りにされてからは地獄のような(後ろからソビエト兵が追って来る恐怖もあって。)苦しみの引き上げだったんだと、シニカルな口調で言ってらしたなかにし礼さん。
戦争の悲惨さを知る人が少なくなっていく中で、8月15日の「終戦記念日」その前の「ひろしま」と「ながさき」に投下された原爆。
私は終戦後7年経ってこの世に生を受けたのですから、なかにし礼さんやその年代の方々の生の話の記憶が残る最後の世代と言えるのかもしれませんね。
でも本当の意味で「平和」のありがたさをそれ程思うこともなく、生きてきたのだと今になって振り返ります。
中途半端な年代。歳を重ねてはじめて知ることが増えていきます。
あの頃の日本人は、市井の日本人は強かったのねえと思わずにはいられないのです。
荒れ野原になった日本をここまで再生してくださったのですから。
時は流れ、今は。
若い人たちがいろんなところで頑張っているのを見るにつけ、平和であれと強く願い、祈る思いが強くなります。
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