「情け」は人間の持っている良い面です。
なのに「情けが仇になる」という言葉があるのも事実です。
ベランダにある和名は「花月」(カネノナルキ)の厚みのある葉っぱがポロリと落ち始めて、葉っぱの色も緑ではなくなってきています。
「この暑さでさすがにやられたんかな?」と連れ合い。
この木はエレベーターで一緒になった男性が持っていらして「見事ですねえ。」と話しかけた2年前に「差し上げますよ。挿し木でつきますから。」とポキっと折ってくださったものでした。
昨年の冬の厳しい寒さに耐えきれなくて、クタッと弱ってしまい再起不能かなと思いながら、改めて育て方を検索して持ち直したものでした。それだけに愛おしく思って眺めていたのです。「よく持ち直してくれたねえ。よかった!よかった!」と。
ベランダの担当は連れ合いです。「これ、葉っぱが落ちるんや。」と言うのでドキッとして見て思わず「お水はやらないでしばらくは大丈夫だからって、言ったわよね。」と強い口調になった私。
「こんなに暑いのに、かわいそうやろ。お前はお水やってなかったんか?」と聞いて来ましたので「そうよ。あげないで様子を見ていて、時々しかあげてなかったんよ。お水をあげすぎると根腐れするからねって言ったわよ。」と答えました。
ゼラニュウムも今夏は葉っぱが焼けて、赤い花をほとんどつけません。狭いベランダで日陰に逃げることもできず残酷なことをしている気持ちになるほどの高温。
ですから、お水をあげたくなる連れ合いの気持ちはわかるのですけどね。
まさに人間と同様に花も植木も「個性」がそれぞれに違うのを把握していないと「情けが仇になるんです。」
これは教訓ですねえ。以前にも書きましたが、「子供を育てるのとおんなじなんです。」と短い言葉で教えてくだすったホームセンターの園芸部にいらした女性。
私の好きな「アジアンタム」は葉っぱがか細くて、風が強く吹くとすぐに葉っぱがチリチリに乾燥してダメになって、何鉢買ってはかわいそうなことをしたことか。
今年の春に買った「アジアンタム」は奇跡的にまだ緑の爽やかさを保ってくれています。新芽が出てきてくれるのが嬉しくて。「ありがとうね。頑張って育ってくれて。」と声をかけているんです。
子どもたちを育てているときに、もっと子供を理解するように学習して育てることをしていたらと振り返って思ったものでした。21歳で赤ちゃんの娘を抱いている私の写真を見ると、子供が子供を抱いているようで。
22歳の年に連れ合いの転勤で関東の地に住むことになって、それなりの経験もしながら出会った人たちに助けられましたし。急性胃炎になるような思いも味わいましたが。それらすべてを取り込んで私という人間が今ここにいるというのが現実ですかしらね。
アダルトチルドレンという言葉を息子が言ったことがありました。娘は大学で心理学を学習していました。遅まきに心理学や、経済のうわっつらをさらっと読んだりする時間は出来たものの、子供たちはすでに大人の領域に入っていましたしね。
半面教師という親の側面もあるにはあるのでしょうけど。
お水をあげすぎてもダメ、あげなさ過ぎてもダメ。それでいて、この異常な高温も加わって、育てることの難しさが増してゆく時代に。。
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