古い話で恐縮ですが。
80年前ごろアメリカに暮らす日系二世の女性が話された言葉のなかに「両親から”我慢”だと説得されて」とありました。
我慢、辛抱、忍耐、今もよく使われる言葉です。
日本だけではなく、困難な状態に置かれたとき「ひたすら耐える」しかないことは往々にして出てくる状況だとは思います。
起こってはいけない戦争、戦時下のウクライナやガザ・イスラエルの人たちは今現在そうした状況下に。
日本は30年前の阪神淡路大震災についで、14年前の東日本大震災から九州、関東、北海道で災害は起きています。能登半島大震災の爪痕はまだ痛々しいほどにそのままの状態がほとんどのように見受けられます。
そのたびに避難された方々の悲惨な様子が報じられてきました。
岩手県大船渡市の山林火災で避難された方々も、つい先日避難解除が出たばかりです。
自宅が全焼してしまった方々はいったい何処へ帰られるのかと、気になっていました。
報道ではそこまでの内容はされないまま。
雨風や寒さから守ってくれる家があり、空腹を満たす食べ物があっての暮らしの集合体が国家だと思うのです。「当たり前のことを今さら~」とお叱りを受けるかもしれませんが。
国というものが「民の我慢」の上に成り立つのは無理があるのではないでしょうか。
我慢には限界があるのではないかと。
ただ日本人は、それも昔の日本人は辛抱強くここまで歩みを進めてこられて、今があります。
政事をする方々がいつまでも民の我慢の上に胡坐をかいていては、国そのものの存亡にかかわってくるのではと危惧を抱く一介の高齢のおばちゃんの独り言です。
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