娘の指摘はいつもズバッと「大当たり」なんです。
「お母さんは冗談を言っても取り合わないタイプよね。さっきまで追憶(と言ったと思うのですが)と言う映画を見てて”お母さんてこんなふうだよね”って話してたのよ。」と言うのです。
確かにそう見える部分もおおいに持っていると自覚してはいますけれど。
そんな私の連れ合いは真逆のタイプ。高校生の頃から冗談をとばしていたようで。8歳の年齢の差がなくて、仮に同級生だったら(同じ高校なのです)会い合うことがなかったのかもとは時折話したこともありますねえ。
いつも私流に思うのは「電池のプラスマイナス」のごとく対極にあるゆえの〜。
映画「追憶」私もだいぶん以前に見た記憶はあるのですが、最近は連れ合いの好みのビデオばかりでアクション、戦争(戦争映画は今やめてほしいと思います、映画のなかに入り込んでしまう私は。)探偵ものが主流になっています。探偵ものは面白いですけどね。「コロンボ」「シャーロック・ホームズ」謎解きの緻密な観察眼にはいつもドラマとはいえ感服してしまいます。
年齢は関係ないのでしょうが、恋愛映画の切なさなどは人生に重ね合わせてしまうようになりまして。私がいつも思うのは「心が震えるような映画」を見たいなあ、です。
そうですねえ。人を笑わせるギャグを飛ばすタイプでないのは当たりです。
男子学生とデイベイトをしていましたから(^_^;)」
私が大学に進学していたら、学生活動に影響を受けていた可能性はあるでしょうね。
そんな私の気性は元々持っていた上に、父がテレビの報道番組を見るようにそして社会に目を向けるようにと言った言葉は今も覚えています。小学6年生くらいだったでしょうか。どうして父がそんな事を言ったのか今更97歳の父も忘れているでしょうから、きけません。
それと虚弱体質の子どもだったので、野山を走り回ったやんちゃ坊主だった連れ合いとその子供時代からして真逆ですわ。男3人の末っ子だった連れ合いと長女だった(長男の甚六ならぬ長女の甚子?!)私。
そのまま今に繋がっているようにも思えてしまう50年です。
私が30歳台から少しづつ妻(こんな表現はこっ恥ずかしいですぅ)から気持ちの上では母親に移行していったのではと振り返ります。今も手のかかるやんちゃ坊主の面影は残ったまま老いて来た連れ合い。私は母親の心持ちで、でも未熟な二人を足してやっと1人という暮らし方をしています。
こんな私もワタシ、これがワタシと肯定して娘の指摘は謙虚に受け止めながら歩いていきます。歩けるところまで。
================
にほんブログ村のランキングに参加中です。いつも応援クリック有難うございます♪