人一倍元気だったゆえに、60歳まではお酒もヘベレケに呑んで、徹夜麻雀もしたりと私はどこか都内の路上で「おやじ狩り」にでもあってるんではないかと思ったりの日々でした。
昔から「一病息災」という言葉のとおり、ひとつ病気の種をもっている人は用心するものです。すこぶる元気は要注意かもしれません。どうしても無理がきいてしまうので。
連れ合いの病気の始まりは「通風」でした。まさに風が吹いても痛いという、通風になった人にしかわからない痛みでしょうね。靴は履けなくて、サンダル履きで夜の病院へ行ったこともありました。
それから数年で糖尿病を発症して、本人が「喉の乾き」や「頻尿」で車で通勤途中大変な思いをしたようでした。病院通いが始まったのですが、今思い返しても医師によって違うものだなあと。
今は「糖尿病予備軍」などの呼び方をしたりして注意喚起をしていますが、連れ合いに関してはその時診てもらった医師からではなく年配の看護師さんのほうが「糖尿病の怖さ」を連れ合いに説いて叱ってくださったのが印象に残っています。
待合室の長椅子の横で立っていた私を、その看護師さんは手で離すようにして「奥さんはいいんです❢本人の自覚の問題ですから。村田英雄さんが糖尿病で足を切って、お風呂にどうやって入ったと思いますか?!」と本当にキツくおっしゃったのです。
あんなに熱い看護師さんにお会いしたのは後にも先にもありません。まるで母親が子どもを案じて叱るような強い口調でした。
たくさん他の人たちが(病院の待合室でしたから)おられる中で、連れ合いもいたずら息子のように叱られていました。いい年になって初めて母親以外にあんなに叱られたのです。私はその切迫した叱り方を懐かしく、ありがたく思い出すことがあります。
それから1年間はさすがにお酒をやめて、私も食事療法の面で仕事がお休みの日に大量の野菜やキノコ、しらたき、こんにゃく、鶏肉等買い込んで「水炊き」と関西ではいうのですが、夕食は鍋の日を続けました。
もともと高血圧の家系で、連れ合いのお義母さんも兄弟もみんな高血圧でした。私は低血圧の家系でしたので、血圧の心配をしたことがなかったのですが。見ていますと、病気というのは不思議なもので血圧が高い人は血圧が高くなるような食べ物=濃い味付けのものを好むんですね。
私はちょっと塩っぱいと食べられないのですが、連れ合いはムシャムシャと食べているのですわ。これは私流に考えると「病気の虫」が食べているかのように感じるほどでした。まさに悪循環そのものですね。
1年間の断酒と食事で身体全体もスキッとして体重も落ちました。それまではお相撲さんのような歩き方でノッシノッシとした足取りでしたね。そりゃ、働いていたときは食べたいだけ食べて、お酒も飲んでいたのですからそうなるのも当然の成り行きでした。
かたや、私はいろんな病気をして通院、入院を経験したものでした。
こう書いてきて、とは言え病気というものは節制していたら絶対ならないということでもないとも思っています。そこが、身体の不思議でしょうか。
ただ自身で不調を感じたら、生活習慣を振り返って見るのは大切なことだと思います。
こんなことを書こうと思ったのも、このところ体全体の肌の痒みも変わらず保湿剤や痒み止めをお風呂上がりに塗ってはいても改善の様子は全く見られずです。暖かくなってきたのもあって、運動だと散歩に出ると汗ばみますよね。すると、やはり酷くなっているんです。
そこに加えて、1ヶ月ほど前から股関節の調子が悪いと言い始めていました。歩幅を広く足を踏み出せないらしく、チョコチョコ歩きに。「痛い!」というのでもないらしいのですが、「違和感がある。」と本人。
今現在、泌尿器科、血液内科、皮膚科と3つの科をはしごしていますが。「整形外科でみてもらおうと思ってる。」と本人がいうのですから、なにか異常を感じているのは間違いないですね。
血液内科からだされているステロイド剤はもう15年ほどにもなるでしょうか。それでもまだお酒ものんでいますしね。少し検索すると、股関節の病気のひとつに「ステロイド剤」と「お酒」が関係するというのもみました。その病気かどうかは整形外科にかかってからになりますが。
少し私も身構える心持ちにはなっています。
確実に加齢と、薬とお酒の弊害がどの程度連れ合いの身体を蝕んでいるのかによっては私も無関係ではすみませんので。 杖を付いて歩ける程度なのか、さてメスを入れると言われるのか?
医師に従うしかないという嵐のまえの心境です。
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