関西人の私は立川談志師匠の落語を聞いたことがなく、「異才」であるとかいろんな風評だけを聞いていました。上方落語のほうが馴染み深くて桂三枝、今は桂文枝師匠ですが。関東の人からは「何ィ、邪道じゃねえか!」とお叱りを受けるやもしれませんが、育ったのが関西の田舎なもんで致し方ないのだとご理解いただきたく願いますm(__)m
連れ合いも関西人のため、立川談志師匠の落語を聞きもせずひたすら風評の聞きかじりで「生意気で嫌いだ。理屈っぽくて。。}などと、誠にひたすら申し訳ない勘違いをしていたのです。
私は落語を聞いていないのは同じですが、立川談志師匠を勝手にどうしてかわからないのですが「シャイな人で,繊細な人じゃないかな。」と感覚としてとらえていたのです。不思議なことに。
先ほど、立川談志師匠の還暦を過ぎて食道がんに侵されて手術を経たあとの71歳で亡くなる直前までのドキュメンタリーをたまたま拝見しまして、貫かれた信念の、哲学の深さをしらされました。今頃、師匠の落語を聞いておかなかった無念さを感じて、取り返しのつかないことを^^;
弟子の立川志の輔氏の落語は、娘の計らいで聴くことはしたのですが。それは別もんでしたね。もう談志師匠は亡くなっていらした後でした。
「老いの初心者」と談志師匠。まさに「老いの初心者」言い得ていますねえ。身にしみてこの言葉、わかりますわ。講談は「赤穂浪士四十七士」を語り、そこから逃げた人間を、人間の業を落語が受け持つんだという言葉。「美談は嫌えだ。うそくさい。」確かにそうかもしれません。
連れ合いも遅まきに「見直した!」と談志師匠の生き方に感服した様子でした。
人間の業を知り尽くした、粋で勉強家で落語をせんとて生まれし人だったんだと、少し見ただけでご勘弁を❢
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