どなたがおっしゃたか。「聖火」が来ると元気になるとの言葉に対してあけすけに言う連れ合いがずっと前からつぶやいていましたわ。千葉県でいえば台風で屋根が飛ばされていまだにブルーシートがかかったままの不自由な家で(カビだらけになっている天井を見上げて、病気になってしまうと言ってらした男性が映像にうつってらしたです。)暮らさざるを得ない大変さを放置しています。東北だって住んでいた土地に戻れない、または戻らないという厳しい状況が改善されてもいなくて、公共工事はやってらっしゃるようですが。私の思い込みかもしれませんが、結局住民の方々の個々の努力にかかっているように目にはうつります。全くやってないと言ってるのではないのですが、住民の方々に寄り添ったといえるのかどうかという点です。
九州も地震、水害の傷跡も生々しく、国民の「暮らし」を正常に戻すことの役割を果たさずに、聖火が走って元気が戻りますか?
連れ合いの怒りのつぶやき「聖火が走って元気がでるんか?!元の生活に戻してもらって初めて元気がでるんやろ?!なにをいうとるんや!」
「聖火」を水戸黄門の「これが目にはいらぬか!」とばかりに使っているように見えます。火は「聖」なる火なのでしょうが、それを口実につかうにんげんは「聖」なるにんげんには私には見えません。私の思いです。あくまでも。
経済も世界的にも厳しいなか、もうオリンピックのために莫大な投資をしていろんな建造物を作るやり方は、根本から見直しの時期にきてるのでは?
世界的なスポーツの大会がないわけではないですよね。かっての東京オリンピックのような晴れやかな気持ちになれない私です。あまりに巨大化し過ぎて、悪い面も見えてきたからでしょうか。
今は命を守る!生活を守ることに全力を尽くしていただきたいと願います。今やめたとしても、莫大な費用がかかるとも聞きますが、もっと直前に出来ないとなったらそれいじょうに大変でしょう!傷口は小さいほうが、比較の問題ですからね。
================
にほんブログ村のランキングに参加中です。いつも応援クリック有難うございます♪