世の中、家庭も「お金」があれば喧嘩も争い事も起きないのでしょうか?
「お金」とは災いの元であり、なくては困るものなので厄介です。ドンドン減って行く(介護保険料等天引きされるものが増えていくので)年金!
私が「プチ家出」をしたりして、私自身を癒やして冷静になろうと努力しました。
我が連れ合いはすこぶる健康であったのと、戦争遺児として時代背景もありますがお義母さんの頑張りで育った環境から「負けじ魂」を自然に身につけた人です。あの時代には多いのではと推測します。
私に見える連れ合いは、「お義母さん、一人で頑張りすぎましたね。男子厨房に入れるべからずなんかしないで、ドンドン家事の手伝いをさせるべきだったと思いますよ。」と胸の中で言いたくなるほどにお義母さんの渾身の子育てに感服しながらも複雑な思いにかられます。
その負けじ魂が悪いわけではないのですが、時として、というか今ですね。「がん」という病気になって抗がん剤も1年半経過した頃から副作用の皮膚疾患に悩まされています。昨年の夏頃は足だったので自分で薬を塗ることが出来ました。
今は背中や上半身に酷い痒みやただれがあるので、自分では塗れません。私が背中に塗るのですが、それが彼にとっては初めての「人に頼らざるを得ない事態」なのです。どうも私に頭を下げる「ありがとう。」ということに屈辱を感じているのではと思えるのです。
私には理解が出来ないことなのですが。私はカラダが強い方ではなかったので、椎間板ヘルニアの激痛で動けなくなったりと人に頼らざるを得ないことが多かったので。
人間の長年培われてきた内面は計り知れない蓄積の上に成り立っています。人に頭を下げる、仕事の上では数え切れないほどしてきた連れ合いでも自分の女房にはしたことがありませんでした。
連れ合いの女性問題が数十年まえにあったときも、一言も謝りはしませんでした。(不倫という言葉がやたら溢れていますが、その響きは好きではありません。)
そんな人ですから、どうも今現在の状態を自分の中で「苛立たしく」感じているのが伝わってきます。元々、「素直」ではないのは承知していましたが。
負けじ魂は得てして、素直とは逆のほうにねじれて行くことがあるのではないでしょうか。負けじ魂があるのはいいことです。ですが、柔軟でもあるべきなのでは?
「弱ったときは頼る」「感謝する」があって、少しでも元気が戻ればいいことじゃないかなと。強がってきた人はその「強がり」が折れてなくなるように勘違いをしているのではないかなと。
まあね。「強がり」は本当の強さとはちょっと違うのでしょうかね。ほんとうに強いという人にお会いしたこともないので、なんとも言えませんけどね。
初めに「お金」のことを書いておきながら、話がそれたようですが大いに関係があります。お金が潤沢にあれば、離婚して慰謝料で私も生活設計ができます。連れ合いもお金で人に病気の世話もしていただけるでしょう。
ですが、そうも出来ないのが現状です。
でも、お金で全てが解決するのかとも疑問がわいてもきます。ビジネスライクにお金でねえ。
これはお金のないものの発想にしかすぎない「ざれごと」ですか。
お金は湧いてはきませんが、発想なら自由に無料で出来ます。自分が病気で、歳を重ねて行くときに「お金」が無いならなおのこと心を柔らかくしていくことで心に余裕を持ちたいものです。
このことを、人に強要は出来ませんが、私が「そう有りたい❣」と願うことで少しでも柔軟な心になれますように。
フランス映画の「最強の2人」というのを以前見ました。実話だそうです。大富豪の半身不随の男性と、貧困層のアフリカ系男性のストーリー。介助される大富豪と介助の仕事に初めてついた貧困層のアフリカ系の若い男性の心が通い合う映画でした。人間の心が貧富の差とは関係のないところで繋がっていくのを見ていて、人間って不思議、やっぱり心だわと感動しました。忘れられない映画です。
「夢見るおばちゃん」の絵空事ですかねえ(^_-)
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半身不随ではなく、首から下が完全麻痺の人でしたね。私もこの映画大好きです。
間違いを教えていただき、ありがとうございます。拙いものを見てくださって感謝申します。