身体は格段丈夫ではなかったのです。
それでも、ひたすらに働いていました。
連れ合いの転勤で引っ越した先々の地で。
POLA化粧品のバッグを自転車に、飛び込み販売を、埼玉の地で。
都内では生命保険外交員として、町工場へ、都心の大手企業の事務所へは支部長に連れられて。
銀行の窓口のすぐ後ろで、預貯金の預け入れ、払い出しの機械への打ち込みを、研修なしで必死に。
小さな鉄工所の原価計算の仕事も教えて貰って、ひとりで。
大手食品会社の営業事務パートとして、在庫管理、請求書作成を初めてのコンピューターで。電卓での計算もブラインドタッチで。4年勤めて、腱鞘炎でフライパンも持てないほどに。
誘われて再度生命保険の外交員として。ひたすらノルマを果たそうと、一軒づつ顧客名簿を片手に歩いて、電話でアポをとっては車を走らせて。
デパートでのアパレル販売員を一から教えられ、女性のなかでいろんな思いも味わって、お客様には恵まれて。
その間に椎間板ヘルニアの激痛、ウイルスによる難病にり患して通院10か月、発熱が続き病名不明の入院、いろいろな病気で病院にお世話になりまして。
62歳で突発性難聴にて10日間の入院の末、完治せず。外界の音の氾濫に私の左耳は悲鳴を上げることになり、デパートでの仕事は出来なくなりまして、今に至るのです。
あのガムシャラに仕事をしていた私が前期高齢者に。
アッ、最後に隣の町のマンションの掃除の仕事を半年間が最後でした。
自分の身体の管理が仕事になっている今。今から病院へ。
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