「俺は、私は偉いんだ!」と言葉にしたり、態度で威圧しないといられない人が増えたように思います。
「〇〇長」だとか、知事になると威張りたくなるほど、抑圧された人生を送ってきた人なのかと「寂しい人生だったんですね。」か、そんなタイプの上司が憧れだったのかしら。
食うか、食われるかの時には野生の動物は相手を威嚇します。生き残りをかけた、まさに命を張った闘いですから。
とりあえず日本は今のところ戦闘もなく、生死は道路の上での暴走車か、逆走車、これも問題のあおり運転などをする人によって引き起こされているのです。平穏な家庭を一瞬にして破壊してしまう車道の凶器。
若い人達のイジメや、家庭環境なども大きな問題だとは、生死も含めた人生に影響が大きい問題だと考えてはいるのです。
立派なビルディングの庁舎や、企業で崇め奉られたい人の心には穴が開いていて、ヒューヒューと風が吹き抜けてでもいるのかしら。
あまりにも自分の存在感がないために、偉いんだという冠を指さして「これが見えないのか。」と言わずにいられないのね。見えたらひれ伏せろよとでも、ね。
高等教育を受けていらしたとて、それは何を学ばれたのかと不思議に思ってしまいます。
高学歴も何も持たない私も寂しい日々を過ごしているひとりです。レベルが違うのは承知ですよ。人生のあらかた生きてきてしまい、この暑さに汗が流れて物価高と政治の不毛にトボトボと安い食材の入ったエコバッグを下げて、この先病気か、事故か、老衰で逝くなら有難いと思う人生ですもの。でも大半の人たちはそんなふうに生きているのではないでしょうか。.命尽きる日まで。
威張り散らしている人の心の中は何で満たされるのでしょう。「お金」では無理なはず。というのは私の考えです。あくまでも。
心と物質は相反するものだと、高卒の私も多少経験したんです。一度きりの人生を怒りにまみれさせて、周囲の人たちを精神的に追い込んで何を得ます?
そんなことも学ぶことのなかった人生は哀しいと私は思っているのですけどね。
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