蝶々の柄がトレードマークだった「ハナエモリ」ブランドの創設者。
だいぶん前に何かで読んだ記憶では、ミシン1台から始まったとありました。今改めて、年表を見てみると1951年新宿に洋装店「ひよしや」を設立と。
私の母がミシンで作りだしていた洋服の数々と、おこがましいですが私のなかでは重なります。
あのミシン一台から魔法のように洋服が作り出されていた時代だったのです。町には洋装店もそれほどなく(田舎は、ですが)母はご近所の方から頼まれて洋服を縫っていました。
森英恵氏はそこから、世界へと羽ばたいて日本の美を知らしめられた偉業を成し遂げた女性デザイナー。
今、改めて知った森英恵氏の反骨心には身震いしました。昭和36年にはじめて訪れたアメリカニューヨークの百貨店地下階で「メード・イン・ジャパン」の”ワンダラー・ブラウス」と、ニューヨークで見たオペラ「マダム・バタフライ」。畳の上を下駄で歩く蝶々夫人に、羞恥と怒りを感じて心を決められたということに。
「日本の布を、日本人の私がデザインして日本人が縫い上げた服を、日本のジェット機に乗せてアメリカのデパート最上階の高級品売り場に置くんだ」と。戦争には負けたけれど、日本人の美意識の高さを世界に知らせたい。その希望がエネルギーになったと語っていらしたことを、知りませんでした。
「着るものは、自分の体に一番近い文化」が信念でいらしたことも。
多くの日本人デザイナーが後に続き、日本人デザイナー華やかなりし時代を見てきました。戦争を体験され、敗戦後の東京でミシン1台から並大抵ではない努力と持ち前の反骨心で花を咲かせた女性だったんだと今頃に思い知らされた森英恵氏の訃報でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
今その反骨心、日本人としての矜持は若者に引き継がれているのでしょうか。
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