1979年、今から46年前、中島みゆきさん、あなたが29歳のときにこの歌詞を書かれたんですよね。
この歌を聴いていると、あなたの声がお芝居をみているようで。早朝の吉野家の様子が目に浮かびます。
私は都会の吉野家へ、早朝行ったことはないのに。
吉野家で牛丼を食べたのは、20年も前になりますか。デパートの仕事に入る前のお昼の池袋でのこと、数回だけですから。
♪ あんたも朝から忙しいんだろ がんばって稼ぎなよ 昼間・俺たち会ったら お互いに「いらっしゃいませ」なんてな 人形みたいでもいいよな 笑えるやつはいいよな みんないいことしてやがんのにな いいことしてやがんのにな ビールはまだか ♪
沁みる歌詞です。
どうしてこんな歌詞が、、あなたはこんなシーンを想像で書かれたのですか。
私はそうじゃないと、勝手に思っています。
あなたも北海道から東京へと、出てこられた、もともと東京の方じゃないですもの。
先日、久しぶりに東京の、それも上野に所用があって出かけました。
もう10年以上行っていなかった、人でごった返す上野の街角で「たった一人」を感じていました。
半世紀前の1月の夕暮れ、大阪から電車で着いた上野駅。1歳の娘を連れて、人混みの上野駅から乗った高崎線。
あの冬の、多くの人が慌ただしく行きかう上野駅で、見知らぬ関東の地でどんな暮らしが始まるのかと、身構えていた若かった私。
今の上野駅はとてもきれいな駅になっていますけれど、あの頃は「これが上野駅❓」と暗い駅の構内を目指すホームへと足早に歩いたのを覚えています。
あなたの唄う「この声」に。
「ファイト!」1983年の、この歌詞も。
地方から東京へ来た私に響くのです。
あなたが こんなに たくさんの 歌を 書いてくださって 感謝💓 です。
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