先日娘が桜餅を手土産にきてくれたのですが、相談事があってきたのでした。彼女が10年以上住んでいる分譲マンションが小規模マンションなんです。昨年大規模修繕をなんとかしたのは聞いていたのですが、修繕積立金が少なくて最低限の範囲での大規模修繕だったこと、さすがに次の修繕のために大幅な修繕積立金の値上げがあったこと、それでもまだ次回の大規模修繕費用が足りなくなるようだと大変悩んでいるのです。
確かに小規模マンションは当然修繕積立金の蓄えは多くならないでしょう。その反面、小規模ならではの良さもあるんですよね。意思の疎通もこじんまりとできるところです。まあ10人十色ですから皆さんの意見が一致するとは限りませんが。大規模マンションの住民の意見を集約していくことの膨大な労力を思えば、どちらも一長一短なのですから。
とはいうものの、娘が急に過敏に将来を不安に思うようになってきて、管理会社任せにしないで自主運営でできないか、もしくはもう少し規模の大きなマンションに引っ越したほうがいいのか、いやマンションは大変だから中古の戸建てが良いのか、この不安定な時期に大きなローンを抱えるのはどんなものだろうかと悶々としてしまっているのです。
私も田舎育ちのゆえか、家があるのは(広い、狭いなど関係なく)当り前だと思っていました。結婚するまで実家暮らしでしたからね。結婚して社宅に始まって借家(会社の補助を受けながらでしたが)暮らしを転々として今にいたるのですが、住むということの対価が高いものだと痛感してきました。
今日も古い戸建てを不動産会社の営業マンと見に行くと言っていました。さてさて、どちらに住むもパラダイスのような住まいはないのではと思いながらも、私も娘の悩んでる様子にほおっておけない気持ちになって「出しゃばり」の関西のおばちゃん心がうずうずします。今のマンションは私と娘の2人であちこちを歩いてみて回って娘が決めた住まいなのです。私もさすがに大規模修繕のことまではその時気がまわらなかったですね。ですが、今は伴侶がいるのですから、私がでしゃばる余地はないですよね。
でも、どうだろうかと愚かな親ですよね。やきもきしてはいます。
このコロナ禍で娘の心配が過度になっているのもあるのでは?と私自身もそれほどの自覚もないとはいえさすがに心も疲れが来ている気がするのですから。
「なんとかなるわよ。」と言っても今の娘にはあまり響かないだろうなとも思いますしね。「なんとかなる。」は無責任に聞こえる言葉かもしれませんが、そう思わないと暮らしていけないときもあるのも事実だとこの歳になると振り返って思うのです。
娘がいろいろ見て回って、少しづつ方向性が見えてきて精神的に落ち着いてくれるように見守って、聞きてになってあげたり、できることをしていきたいと思っています。
昔の人が残された「帯に短し、たすきに長し」とはよく言い得た言葉だと感心します。あらゆることで感じる言葉です。
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