「戦争は何一ついいことはないけれど、戦争がなかったら、ジャズミュージシャンになっていないのよ。私。」と話される世界的ジャズピアニストであり、作曲家・ビッグバンドリーダーとしても活躍されてきているのです。
私が生まれて歩いてきた年数、ピアノを弾かない日はなかったと。「1日弾かないと自分で分かり、2日弾かないと近所が、3日弾かないと観客がわかる。」と毎日🎹に。
日本女性が一人アメリカに渡り、ジャズの世界でパイオニアと言われるまでになるのは並大抵のことではありません。
ジャズは黒人の男性の物という観念であった時代だったと。
「自分は無価値、砂のように感じた。」時期に再婚された今のご主人の勧めで作曲家の道も開けたと、数々の日本人のジャズを作り上げたレジェンド。
私がこうありたいと思った言葉「自分の周りでいろいろ言う人がいても私はコントロールできないから気にしない、私は自分がコントロールできることをする。直すべきところは直す。そう決めたら楽になりました。」
アメリカで結婚、出産、離婚、お子さんを日本のお姉さんに預けないと仕事として音楽の旅に行けないと決心されたなど、想像もできないほどの試練の波を乗り越えて。
パイオニアの日本人女性・穐吉敏子さんを見つめていたアメリカ人女性たちが彼女を尊敬して、後に続いているのです。
その一人の女性が「私たちは音楽ではなく”人生”を演奏しているんです」と穐吉敏子さんを見てそう思うのだと語っています。
満州から引き揚げてきて16歳で敗戦を経験し、全財産を無くしたご両親に代わってピアノで稼ごうと始められてから1本の道を歩みを止めずに来られた女性に敬意を表したい気持ちでいっぱいに💓
広島を題材に作られた「Hope」をアメリカの9.11後は演奏会では必ず弾かれるのだそうです。世界に来たれ、平和な日々。