60年も前に作家・遠藤周作氏が「沈黙」を世に送り出しました。
時代は17世紀、キリシタン禁制の日本に来たポルトガル人司祭がみた日本人信者たちの苦悩。棄教させるために拷問やありとあらゆる苦しみを時の為政者たちは日本人キリシタンに与えるのです。司祭たちにも。
遠藤周作氏はカトリックの洗礼を受けてらっしゃいます。
今検索してみて知ったのですが、1955年の「文学界」で「劣等生・小不具者・市民」を第三の新人の特色として挙げたとあります。服部達氏が。(この不具者の表現は今の時代差別用語としてとられるのでしょうが。「不具」を辞書で見ると、自分の気持ちを文章に尽くしていないことの意あり。手紙の終わりに書く語。不一。不尽。不備など、言葉はまさに時代とともに変化する生き物だと思います。)
確かに第一次・第二次戦後派作家の大岡昇平氏らとは違うでしょうね。
なぜ私が遠藤周作氏の作品を読み漁ったのか、不思議なのですけれど。考えてみる前に、当然惹かれたから、としか思えません。
私はどの宗教にも属してはいませんが。
ですが、今こそ「神よ、なぜ沈黙しているのですか。」と声に出したいのです。二つの戦争のさなかに開催されるオリンピック。
パリはオリンピック開催で湧いていますが、その一方テロを防ぐため警戒体制を何重にも。
この「沈黙」における遠藤周作氏の描くキリスト像は半世紀も前にカトリックの神父たちに反論されているようです。「決してキリストを理解しきることはできないはず。キリストの叫びの次元がわれわれのとは違うからだ。」と。
神さま・仏様・八百万の神々の国、日本から願います。眞の平和を。
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