何を成し遂げるということもなく、私は歳を重ねてきたものです。
ノーベル賞という賞に値する発見・研究をされた方が日本でもお二人。
受賞に際して語られたのは何十年という歳月をご自身の信じる道をコツコツと、時には失敗もあったりと、順風満帆ではないにも関わらず、決してぶれることなく歩んでこられたと、お二方ともに同じ姿勢でいらして。
それは今まで受賞された方々もお話しされていらっしゃったことだと、ザックリした記憶ですけれど。
その数十年間ぶれないで、信じた道を突き進むこと自体が貴いことで、なかなか出来得ないことですので、頭がさがるのです。おめでとうございます。
並べて書いていいものかとは思いました。なんとなく、です。深い意味はなくて。
が、今年89歳でらっしゃる袴田巌さんと、お姉さんのひで子さんは92歳でらして、昭和41年から人生が大きく変わってしまわれたとのことです。
「殺人」という罪を決定されてしまい、「死刑」の恐怖のなかで無実を訴え続けて、60年近くを犯罪者として、人生を奪われてしまったのです。
その巌さんのお姉さんのひで子さんは、弟の無実を疑うことなど毛頭なく、巌さんの人生に寄り添って無罪判決を勝ち取るためにひたすら生きてこられたとのことでした。
この世に生を受けて、人生をどのように全うするか。
昔観た映画「喜びも悲しみも幾年月」 佐田啓二さんと、高峰秀子さんが演じるご夫婦が灯台を守り、二人のお子さんを育てながら、各地の日本の灯台を守りとおした人生を描いたものでした。
今でもこの映画で流れた歌を唄うとき、涙があふれてくるのです、私は。
若かりし私が、「人生とはいろんなことが起きるものなんやね。」とリアルに思ったのを覚えています。
ノーベル賞の先生方と、袴田さん。かくも、隔たりのある人生の月日の流れが、時を同じくして新聞紙上の一面と、社会面に掲載されているのです。
この世に生を受けること自体が、奇跡のようなことなのだと私はこの歳にして思うようになりました。
その奇跡から始まった人生が数多の曲がり路や、雨降りの泥道、はたまた躓いて転んでしまったり、とそれぞれに悔し涙を流したり、少しのことで喜びを感じたりしながら過ぎていきます。
それをお天道様が見ておいでになるのでしょうが、全知全能ではないんですかしらねぇ、お天道様も忙しくて。。(バチがあたりますか?!こんなことを書くと)
どうか、奇跡で始まった人生の道の最後には生きとし生けるものが平穏でいられますことをと、願ってやみません。
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