愛媛県の帝京第五高校の剣道部総監督61歳が剣道部のキャプテンに部員全員から一人あたり五千円を集めさせたという報道に「なんなの?それって」ととても驚きました!それも監督の誕生日にあわせてという全く不可解なものです。部活も「剣道」というのですから。なんの部活でもそんなことが行われるのはありえないことですが。「剣道」って日本の「武士道」を最も想起させる部活ですよね。「道」がつく「武道」「柔道」「空手道」「弓道」などは精神的なものも併せ持つものという認識が私にはあるのですが、そんなのはとっくに消えているのでしょうか?「勝てば官軍」「勝てば、あとはどうでもいい。」優勝して全国に高校の名前を知らしめれば、その監督は偉大な人物という評価になるのでしょうかねえ。偉大な人物になったら、なにをしてもいいと周りの人もひれ伏すわけですかしら?というかひれ伏させるのでしょうか?「恥じる」という心はとっくに無くしているんでしょうね。その人は。
最近、60最代から上の分別も一般常識も持ち合わせているであろうとおぼしき年代の「いい」おとなが恥ずかしいことをやらかす報道が増えているように思うのですが、昔の60歳代より若くなって、若くなりすぎて分別もなにもまだ持っていないやんちゃな若者のようになってしもうてるんやろか(´・ω・`)不思議でなりまへんわ!せやけど、歳を重ねたら自然に分別がつくものでもないんかなとも。若い人でしっかりした考えを持ってる人に感心することが増えてきましたから。同年代として恥ずかしいし、情けないです。ようそんなことが長年まかり通っていたとも、学校側がその事実を知らなかったですむんやろかと二重の驚きやわ!
生徒さんもそんな理屈の通らないお金を断りはったらええのにと私はおもうけど、そこの空気が断られへん空気感やったんやろねともおもう。悲しいことやね。教育現場の乱れ方はあちこちで「イジメ」を苦にした自殺も長崎市の私立海星高校2年生の自殺した男子生徒の問題を「突然死」と扱えるという学校側の遺族への提案を長崎県の当時の担当者が「ぎり許せる」(この表現も人の死に対して使う言葉でしょうか?!)と遺族と学校、県による面会の席で容認したというのを4回目の命日がくるこの20日にあわせるように「違法」としたと報道されていました。その上当時の県学事振興課の男性参事が現在は県立高校長になっているとのこと(どんな立派な校長先生をしてはるのやら?)、その言動は学校側の擁護に終始していたというのです。学校側を擁護してこどもは見放す教育者ですか?!いったいどうなってしまっているのかと絶句するようなことが、教育現場で散見されます。教育のために学校に行かせている親御さんはもちろん、学校に行っている当人である子どもたちは守られることがないのでしょうか。
教育者という立場の方々の(もちろん全てとは言いませんが)意識のありように❓をもつことの多くなっている今を修正していくことが必至ではないかと思ってしまいますが、ただ、傍観者としているだけでは胸が痛みます。昔昔の、私も知らない時代の周りの人からも尊敬されていた「先生」は今は昔で、消滅してしまっているのかと。
================
にほんブログ村のランキングに参加中です。いつも応援クリック有難うございます♪
にほんブログ村