最低限、命をつなげて生きていたころから今に至るまで何がここまで貧富の差を広げたのでしょうか。肌の色で悲劇が綿々と続いているのかといつも思うのです。私も「カラード」として。
アフリカやアマゾンの奥地で原始に近い生活をしている人々が今も存在しておられるようです。隔絶されている分、差別を感じない自由な生き方のように思えますが。実態はどうなんでしょうか。
日本からも南米に移住者を募った歴史があって、沖縄や広島、東北など広範囲にわたり長い船旅で家族で渡られたのを最近になって知りました。ブラジルの日本人会のことは聞いたことがありましたけれど。日本とは全く違う風土での暮らしのなかでゼロから築きあげてこられた開拓者魂には頭が下がります。
ハワイに行ったことがないのですが、よく聞いていた「日本語が通じるよ。」というのも移住された日本人がご苦労の末に商売をされたり、農業をしてハワイの地に根付くように生きてこられた結果ですよね。日本の食べ物も作り続けてくださっていて。
ハワイの風土に沁みつくまで、日本人の矜持を持って働いてこられたんだと思います。まさに古き良き時代の勤勉でまじめな日本人を海外の地に見る思いがするのです。
ずるがしこい人たちが移り住んで土地の人を押しのけて、自分たちの暴利をむさぼるのとは大違いです。そこに日本人の誇りと我慢強さと、家族の団結をみるのは今の日本に少なくなりつつある美しい情景でもあります。
2022年フランス制作のドキュメンタリーで「ナムビア」の現状をたった1時間見ただけで、何か分かった気持ちになるのは早計ですよね。南アフリカのアパルトヘイトも結局はなにも変わらずホワイト系の富裕層の美しい家並みと、現地住民の住むバラックの並ぶ低所得者層の貧しい暮らしぶり。
肌の色だけではなく、貧困ゆえに教育に回す余裕がないゆえの悪循環。それを良いことに安い労働力として働かせるか、もしくは職にもつけない若者が警察のお世話になるという暗澹たる世界。
私が小学生のころに読んだ「UNCLE TOM’S CABIN」(アンクルトムの小屋)は今も心の隅に残っています。スピルバーグ監督の「カラーパープル」も見ましたが、根強い人種差別は相も変わらずです。
生命はアフリカから生まれて世界各地に移動していって、今の世界をつくっているとか。
私が全く肌の色を意識しないかと問われれば、「はい。」とは即答できないです。アメリカのように人種のるつぼの中で育ってこなかったのが大きいのかなと言うのは、言い訳になりますかね。
それに言語能力がないのも理解しあうのに、大きな課題になります。
人は差別や区別をしたがるものなんでしょうか。常についてまわる最大の疑問ではあります。
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