昨夜は珍しく早く眠りについたようで、喉の渇きも覚えて起きたのが午前1時半。
もうすぐ来る8月15日。ふと電源を入れたテレビから太平洋戦争の映像が流れていて。
連れ合いの父が外地で亡くなって、80年。
テレビから流れる「大本営」だとか「戦況悪化の一途」「銃後の守り」の言葉も私の記憶の片隅にあるにはあって、検閲を受けながらも、家族と交わした数多くのハガキや手紙が残されていることを知りました。
ひとりひとりの人生が確実に、そこにあったのです。両親を、祖父母を、妻子を想いながら言葉を残して。
平和なはずの今の日本で、SNSなどで匿名で誹謗中傷して、他人を傷つけるなんて悲しくて、淋しい話が延々と続いているのはどうしてなんでしょうか。
名前を出さずに、自分の持って行き場のない怒りを形を変えて発散させているようにも思えるのですが、それで心が晴れるのでしょうか。
80年前とは違う、哀しみが日本の国のあちこちに淀んで、光りさす出口が見付からない焦りがそんな行動に駆り立てるのかしら。
80年間の平和を当たり前だと思わないでいたいものです。
今も地球上から戦争がなくならないのは、人の心に潜む何かが暴走するから?