私が高校生だった半世紀以上も前は、東京では学生闘争が激しくなっていた頃でもありました。実際私が住んでいた関西の田舎にもその当時の学生運動のグループの一つが存在していた記憶があります。私は深く知らずに近づいていて、直感的に怖くなって離れたのを覚えています。
浅間山荘事件などを後になって知るにつけ、若い人間の男女の愛憎なども入り混じり凄惨な状況だったのだと(これも一方的な見方かもしれませんけれど。実態は私などには皆目わかるはずもなく。)
たかだか半世紀ほどのあいだの世の中の、大学のこの変貌ぶりには驚かされます。
プレジデントオンラインにふと目が止まったのですが、「BF大学」(ボーダーフリー大学)」偏差値が測定不能だということらしいのですが。
確かに大学に欠員が多くてと報道されていたのを覚えていますが、大学の授業料は決して安くはないので「金儲け」出来るとばかりに(失礼とは思いますが、まんざら嘘でもないのでは?)大学が作られたのかもしれません。
偏差値を重視するわけではありません。今大臣とか閣僚、官僚の方たちは偏差値は高かったのでしょうから。
大学は学習も研究も大事でしょうが、TOTAL人間として学問を極めながら人としてどう生きるべきか。社会に貢献しつつ自らの生活設計も建てられるよう18歳から4年間を過ごす貴重な時間ではないかと。(大学に行っていない私は理想論かもしれませんけれどね。)
それが今の実態はどうなのでしょうか。高卒、中卒でハングリー精神から頑張った人たちもたくさんいらっしゃいます。その人一人一人の志にかかってくるのでしょうねえ。
とにかく生きていく為には働かなければ なりません。それがきれいなビルでなくても、現場仕事でも真摯に働く(パワハラやセクハラを避けられないで、苦しむなら辞める決断もあってもいいとおもうのですが。身体を壊すくらいなら。)
大学が全てではないのだと、この70歳にして思えるように遅まきですがなりました。
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