今年の3月に一泊二日の入院をして、大腸内視鏡検査を受けた連れ合い。
その前に撮ったCT画像にて大腸に異常ありとのことでの検査後「結構ポリープがありました。」と医師。その上で「10月末にとりますか。」との言葉に私は「はあ?!」と。
私自身40歳代で大腸内視鏡検査を受けて、その際とってもらったポリープが「ガン」移行一歩手前のレベル3だった経験をしているので、その旨を医師に伝えましたが「当院はそのようなことは致しません。」とのそっけない回答でした。説明は全くなくて。
さて10月末になり、指定された昨日お昼前に病院へ。月曜日の混み合う待合室で2時間近く待って診察室へ。
「1センチ近いポリープもあるので、出血が~。穴が開くと死ぬことも~。」と5年前に腎臓のがんが大きくて、腎臓一つ摘出手術をして、なおかつ肺に遠隔転移して抗がん剤を飲み続けている80歳の連れ合いに若い医師の言葉が刺さっているだろうと。
連れ合いの後ろに立っている私のほうは殆ど見ずに言葉を放っていた若い医師。
手術のリスク説明なのは理解できます。が、
じゃなぜ3月に内視鏡検査で入院してポリープを目視しながら、10月まで先伸ばしにする必要があったのか?その間年齢は重ねるし、抗がん剤を飲み続けて皮膚がボロボロにもろくなり、見るも無残な状態なのに。私は医師でないけれど、抗がん剤の影響は大腸の壁にも及んでいるでしょうにと思うのです。
もちろん死は誰の身にもやってきます。ガンに負けて早く死なないためにこその抗がん剤も6年目に。
「万全の体制で手術にあたります。」の言葉を聞くことはなく、どんな表情で連れ合いは聞いていたのかと顔を見られない立ち位置でしたので。
「男だから強いでしょ」はないと思う私なのです。
「死」を安らかな心で受け入れられる境地にはなかなか到達しないのでは、と。
医師の発する言葉の重さ。
私も「その時」を迎えるのは必至です。「苦しい・痛いはいやだな」とだけはずっと思っていることです。
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