2発の原子爆弾が落とされて、終戦を迎えて76年。私は戦後生まれですので、テレビ等の報道でしか原子爆弾のことは知りませんでした。
娘が東京で出会って結婚したパートナーのお母さんは、たまたま広島の方でした。数年前に娘の結婚で知り合ったのですが、お元気な方でした。気丈な方でしたが、娘のパートナーは末っ子なので、お母さんはもうそれなりの年齢になられていました。広島のあのドームが表している悲惨な体験もお母さんの口からは嘆き節ではなく、「運が良くて、傍にあった大きなもののかげにいたから、助かったんよ。」と。
娘のパートナーのお父さんは原爆のために大きな商売をされていた家も、家族も亡くされてどこか持って行き場のない気持ちを引きずったまま、若くしてなくなったようでした。そのために、お母さんはお子さんを育てるために必死に働いてこられました。そのお母さんは娘の結婚式のときはまだしっかりとされていたのですが、少しづつ認知症が出てきたと、娘からは聞いていました。3人いるお子さんのなかで顔がわかるのは末っ子の、唯一の男の子である娘のパートナーの顔だけなんだよと、娘。嫁である娘の顔も、2人の娘さんの顔もわからないようです。
息子である彼がそのお母さんに会うこともできないのは、このコロナウイルスのせいなのです。唯一顔のわかる息子に会えないまま、2人の娘さんたちも仕事を持って働いているので、今はホームに入っておられるお母さんに早く顔を見せてあげられる日がくることを願うばかりです。
娘の言葉で、「顔とかはお母さんにそっくりでね、神経の繊細なところは亡くなったお父さんに似ているようよ。」と。遺伝の不思議さをこのことからも考えてしまいます。
東京で知り合った2人が不思議にも76年前の戦争の痛みを持つ親たちだったとは、縁というのか。もちろん、あの戦争の犠牲になった方はたくさんいらっしゃるのですが。
まさか、広島の方だとまでは。娘は祖父が戦死なのでいまひとつ実感はないとおもいますが、娘のパートナーはご両親のことですから、直接影響を受けて育ったわけなので、娘とは違う受け止め方なのは間違いないと思います。
ホームに入居されている多くの方が、面会謝絶なので寂しい生活を余儀なくされていると思うとたまらなくなりますね。一刻も早いコロナウイルスの終焉を祈るばかりです。
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