私の育った関西の田舎では「姑に似た嫁がくる。」とよく耳にしました。ばくぜんと聞いていましたが、この歳になって来し方を振り返ってみると「まさに!」と思うことがあります。
我が連れ合いのお母さんは精神的にも身体的にもタフな女性でした。と、私は見ていました。強い女性というイメージ、でした。というのも連れ合いは末っ子だったので、私はお義母さんと一緒に暮らすことがなかったので。たまに帰省したときだけの短い交流だけでした。そしてすでにお義母さんは歳を重ねていらして一番若い私と年齢の開きがあったので、さほど摩擦がなかったもので。本音で言うと、私はお義母さんとは一緒にくらせなかっただろうなと思います。私のようなぐうたらな人間には一緒の生活はつとまらなかっただろうと。
我が連れ合いは「宿題をしろ!勉強しろ!」とお義母さんに叱られてばかりいたというのです。お兄さんが優秀だったので、同じように勉強してもらいたかったらしいのです。連れ合いにはそれが苦痛だったので、高校を出て家をはなれて就職したときは解放されたと感じたそうです。自分の好きなように干渉されずに行動できる自由を満喫したようです。
ところがその10年後、私とお見合いをして潮時だと結婚をすることにしたわけです。昔の田舎の人の観念では「そろそろ結婚しないといけない年齢ね。」と。
連れ合いが現役で働いていた時は今でいうところのブラックな働き方で(職種もありましたし。そういう時代でしたね。)夜は寝るためだけに深夜帰宅するという生活でしたが、退職してから遅きに失した?!会話をするようになりました。すると、叱られてばかりで逃げたかったお義母さんと私が似ているというのです。「逃げたつもりが気がついたらおんなじような女性(女と言ってましたが)やった!」と(^-^;
でもそんなに怖いお義母さんかのように連れ合いは言いながら、暮らしぶりを聞いてみると末っ子である連れ合いに勉強では厳しかったのでしょうが、食べることに追われる暮らしのなかで末っ子のわがままな漫画本を買いたいという要求に祖母にはかくれるようにお金をわたし、暑い夏はうちわであおぎ続けて中学生になるまでお義母さんと一緒に寝ていたという、3本立ての映画もお金を無心して結構行っているのです。逃げたかったのは「勉強しなさい。」からだけだったと思います。勉強嫌いののわんぱく坊主だったというわけです。
私が教育ママ、お義母さんも「教育ママ」だったと思っているのです。お義母さんは戦争遺児だからこそしっかり勉強して独り立ちをさせるためと必死だったのだと私は分かる気がするのですが。私は私で時代は違えど、じぶんが高卒の限界を感じての子どもたちの大学進学を望んだということで、連れ合いからすると「教育ママ」に見えるらしくお義母さんとおんなじだと。
不思議なことに、私自身もある部分、全てじゃないですがお義母さんに似ていると思うことがあるんです。「姑に似た嫁がくる。」とは昔の人が統計でもとっていらしたのかしら?と首をかしげたくなる話です。これは男性と女性の不思議なんですかね。
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