家族はみんな仲がよいとは限らないのは、私自身が少し経験したのでわかる気がします。
私は母と相性が良くなかったという点で、特別虐待されたということはありませんが。人はそれぞれ違う個性を持っているとわかるまで、同じ屋根の下で暮らしていたのです。親だとて、初めて親になって育っていくのです。
それは私が21歳で長女のおむつを替えて、(昔は布おむつでしたから、洗濯は大変でしたね。)おんぶして手探りで育てていく過程で少しづつ「親になる」ことの学習をさせてもらいましたので、身に染みてわかります。でもいまだに未熟な親のままですけどね。
今や、よくぞ育ってくれた娘と息子の生き方に「頑張ってるわねえ!」と。娘と息子の二人は見事なほど個性が違うのです。こればかりは持って産まれたものなんでしょう。
家族は「親しき中にも礼儀あり」の言葉が必要な個性の違う人間の集団なんですね。手のかかる幼い時にもわかるのですが、しっかりとそれぞれの自我をもって生きているのです。
「家族だから分かり合える」は幻想なのではと私自身が育ったなかで実感したこと。
家族間でもめるのが一番多いそうです。家族ゆえに、錯覚するのではないかと。西洋では子供が18歳になった時点で親から独立すると聞いたことがあります。農耕民族の日本人とは発想が違うんだと思ったものでした。
甘えるという経験をあまりしたことがない私は可愛げがないのかもしれません。が、それも私の個性。娘も息子もそれぞれの個性でもって生きて行ってるので、それで十分ありがたいと思っています。とにもかくにも元気で暮らしていってくれますように。
私が自分の終末を考えないといけないのですが、毎日そんなことばかり考えるわけにもいかず時が砂時計のように流れていきます。
================
にほんブログ村「団塊の世代」カテゴリーのランキングに参加中です。
いつも応援クリック有難うございます♪