今、夕方の報道で「大盛り」や「グルメ特集」が盛んに見られます。
私は関西の田舎町で生まれ育ったので「ひもじい」思いをした記憶はありません。
今は一番安価で手にできる「バナナ」は高級な果物で、子供の頃に一度だけ見たことを覚えています。
近くにあった食料品店は小さくて、魚はサンマか鯖の「一夜干し」しか食卓にはあがりませんでした。お肉は「クジラの赤身肉」を水菜とすき焼き風の味付けで鍋に。「ハリハリ鍋」と言っていた記憶があります。
水菜は現在のような価格ではなかったのでしょう。大量に入れて鍋にできたのですから。
70歳代になっている私がしみじみ思うのは「今、80年前の戦後の再来では?」と。
当時、都会で農地の無かった人達は高価だった着物を風呂敷に包んで持って行き、お米と交換してもらったと見聞きしたものでした。
まず、食べ物ありきなのですから。人間は。
飢えていたのでは、オシャレも何も始まらないのです。
海外から輸入で手に入る食べ物がいつまでもスーパーマーケットに並ぶ保証はないのでは?
あまりにも当たり前にしてきたことが当たり前でなくなった時、さあどうしましょうか。
自ら田畑を耕し、種をまき、育てて収穫する人がいなくなることの恐怖がひたひたと迫ってきている日々を過ごしているのです。
食料全ての生産を人任せで、対価を支払っても手にできなくなったらと。
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