常々娘から「お母さんはモノのない時代に育ったからというのもあるのはわかるんだけどね。私たちはそんなにモノには執着がないのよ。それよりいろんな体験にお金を使うほうが心が豊かになると思うんだけど。」と言われてきました。
「ごもっとも❣」と頭では理解しながら、言い訳をしている私がいました。「あなたはオイルショックを経験してないでしょ。あんなのを経験するとね。」と備蓄の必要性を盾にしている私。
まさに育った環境がその人を作るというそのもの。
今は溢れんばかりのモノが手に入れられます。そして、廃棄されていきます。
先日、スマホのニュースに「大量のアパレルがトン単位でアフリカの砂漠に放棄されている。」とありました。今の衣類は天然素材ばかりではなく、石油系のポリエステルなど土に帰らない素材が多くなっています。そんなことが起きているとは想像すらしていなかったのです。
私の住んでいるここでも、不要になった衣類を捨てられるようゴミ集積所に指定場所が設けられています。回収業者が持って行ってくれるので、当然何らかのカタチでリサイクル利用されるものだと思っていました。
とはいえ、その衣類の不用品が川上から川下までの行方を知っているかと問われたら、「知らないです。」としか答えられません。
結局何も知らずに、大量消費・大量廃棄の片棒を担いできたのです。それをアフリカ等の砂漠ならいいだろうと廃棄場所に押し付けて(金の力ででしょうね)事なきを決め込んでいたのだと思うと空恐ろしいことです。
土に帰らない石油系のプラゴミの問題が地球規模で生態系を汚染していると問題になっている海洋汚染は知られてきましたが、アフリカの砂漠にまで拡大しているのはあまり知られていないのではないでしょうか。
人間の欲望の行き着く先に責任を取らないといけない時期がすでに危険水域に到達しているんですね。
まだ、カネ、カネと血眼になっているうちにまさにSF映画の世界が現実になりますね。
かたや、スタートアップ企業が鶏肉を鶏を殺すことなく、鶏から細胞を採取して鶏肉にしていきフライドチキンにできる技術の進歩も報道で知りました。そんなことが可能になれば食料危機も回避できますが、19世紀の産業革命よりも凄いことになるのかもしれません。が、一方で酪農等で生計を立てているいる人達からの反発もあるでしょう。実現して行き渡るまでは時間のかかることだとは思いますが、どんな社会に変わっていくのだろうとは感じました。
人間は間違いや失敗も起こしますが、かたやなんとか研究によって食糧危機に対応しようとする人もいて、そこが人間の凄いところだと再認識させられました。
この我が家の不用品の行方はどこなんだろうと考えながら、できるだけ再利用してもらいたいものだと思います。カタチは変わってもね。
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