娘から「新宿のホームレスの人たちに、持って行こうと思うんだけど。着てない衣類があったら。お父さんはヒートテックが皮膚疾患で着られなくなったって、言ってたじゃない?」と電話が~
「はい、わかったわ。見てみるわ。」と電話を切って、すぐにゴソゴソと引き出しを開けて。
ヒートテックのパジャマの類はすぐに処分したのですけどね。嵩張るのもあって。
でも、連れ合いが自身で管理していたのまでは、手付かずだったなと引き出しの中を見ると少しは残っていたのです。
ヒートテックのタートルなどが。
洗濯をしてきた綿のカジュアルシャツも、連れ合いが好んで着るものと、そうでもないシャツに分かれていまして。どなたかのお役に立つのならと、ピックアップしまして。
一枚一枚、きちんと畳みました。
アパレル販売の仕事をしていた時に覚えた畳み方で。
クローゼットの奥に忘れてしまっていたダウンブルゾンが~
30年ほど前にハローワークで紹介してもらって、働いた都内の小さな衣料品販売の会社、1年間しか在籍しなかった会社の社長自らが中国に出向いて、企画、制作されていたようでして「このダウンを販売します。」と従業員にお披露目をしてくださったものでした。
従業員には販売価格より安価で~とのこと。家族4人分をそれぞれ色違いでLサイズ・Mサイズで購入。その1枚がポツンと残ったまんま。
個性的でいらした社長さんを思い出しながら、ダウンたっぷりのブルゾンを大きな紙袋に。
入社してすぐに、会社の近くのスナックへ会社の方々と一緒に連れて行ってくださった社長さん。なぜか私に「桂銀淑の”雀の涙”を唄って♪」と社長。私はその時、人前で初めてその歌を、聞き覚え程度だったのに、歌ったのですから、忘れられない想い出です。
今では定番のように、カラオケで歌う大好きな歌になっているのですよ。社長♪
私がその会社を辞めて、しばらくして奥様から「主人が亡くなりました」とお葉書を頂いたのでした。私がいたころから「乾いた咳」をしていらしたのは気になっていましたけれど。事務所の上がお住まいでしたので、奥様ともよくお会いしていましたし。
私が辞めるときに奥様がオシャレなエプロンをくださって、今でもそのエプロンは持っています。濃い1年だったなあと振り返らせてくれたダウン。
「今年の寒い冬を、このダウンでしのげますように。お一人でも。」と願いつつ。
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