歯の痛みくらいで食事もとれない私とは違い、身体を心を痛めつけられている人が増えていると感じています。
人が人を傷つけてはばからないのは何故なのかと思い続けていますけれど、最たるものが戦争です。「いじめ」は子どもから大人まで自死にまで追い詰めます。
ロシアのナワリヌイ氏の突然の死の報道に「またしても!恐れていたことが。」と思いました。ウクライナの惨禍も2年を経過しました。
イスラエルのあのホロコーストを体験した高齢の方までが今の戦争を支持すると話されるのを(支持しない方もいらっしゃるのも目にしましたが)見て衝撃を受けました。それだけ根の深い問題なのだと、ガザの子どもたちの映像に胸が痛みます。
日本では能登の大震災で避難所の若い女性が1月の報道で「また忘れられるのでしょうね。」と穏やかな表情で言ってらしたのが脳裏から消えません。
どうしてか「ハラスメント」と英語の単語で「パワハラ・セクハラ」等と表現されて、軽い感じの表現に聞こえてくる気がしていました。英語が話せない国民が多い国のわりにはこうした英単語だけは浸透しています。
「カスハラ」と報道番組で流れた時、我が連れ合いは「なんや、それ。カスがどないしたんや。訳がわからんやろ。日本人にわかるような言葉にせえ。」とつぶやいていましたっけ。
私がデパートで働いていた時、もう30年も前でも店頭で「無茶ぶり」をするお客様もいらしたようでした。私が直接担当したのではないのですが、耳にしましたね。「私は客だ。」と自身の身長に丈詰めをしたコートを返品すると言い通して一日座り込みをされたと。
そんなことは損得勘定の話なのですが、問題はそうした感覚を持つ人が増えると怖いということです。
いじめて何が悪い、暴力(言葉の暴力も含みます。当然)を振るって何が悪いと居直る人が増え続ければ恐ろしい世の中になるのは目に見えていますよね。
「いじめられる側にも原因がある」というような責任転嫁とも取れる言葉も耳にしますけれど。
「勝ち組・負け組」との言葉もある日本です。株価が上がっても生活が苦しいと感じる人の比率が問題ではないかと。
世界のあちこちでミニトランプのようなリーダーが増え続け、紛争が起こり難民の数は増加の一途をたどっています。
心も身体も痛いのは辛いことなのです。
(私の歯根にはどす黒い膿がたまっているようで、昨日の治療で脇の歯茎から膿を出しましたと医師。麻酔が効いていても、切れても食欲がいまいち。抗生剤も再度出されたのですが。人間の持つ悪の膿に効果のある抗生剤はできないものかと、ふっと。されど、抗生剤も諸刃の刃でもありますけどね。)
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