あの日の映像はあまりにも恐ろしくて,凪の真っ青な大海原を見ると自然の中に生かされている小さなにんげんなんだと痛感させられます。自然はあくまでも自然であってにんげんのように悪意を持って襲い掛かってくるわけではもちろんなくて、地球の営みの中で地震も起きれば津波もくるのだと。
にんげんが自然をわが物のように、森林を伐採したり住宅を建てんがために山を崩して宅地にしたりと世界中で当り前のように行われています。昔から日本では森林資源をきちんと管理したり、漁獲も稚魚まではとらないように今盛んにいわれている持続可能な生き方をしてきています。ただ地震や津波がいつ襲ってくるかはこれだけ科学が進歩してもはっきりとはわからないのが現状なんですよね。
ただ「ふくしま」の原発事故の収束はまだまだ先がみえてきません。私が住むあたりも「3.11」のあと放射能はずっと測定されていて新聞に放射能の数値がのっていましたから、無関心ではいられない状態でした。被災された方たちに私ができたことは衣類をクリーニングして私の市を通して使っていただけるようにお渡ししただけでした。娘は会社の同僚と金曜日の夜からボランティアとして現地にはいり、泥をかきだしたり濡れた畳を運び出したりと結構キツイ活動をしてきたようでした。娘夫婦から「すごく体力的に大変だし、危険な作業でもあるからおかあさんは違った形でできることをしたほうがいいと思うわ。」と言われましたのを覚えています。
福島原発の周辺の方がたはもちろん自宅にも帰れず、津波が直撃した広範囲の方たちは家も家族もなくされ長く仮設住宅での不自由な生活、その前の避難所での想像を絶する日々と、辛抱強い東北の方たちとは言え辛抱も限界を超える日々だったと。
小学生だったお子さんが10年経って見違えるように立派な青年に成長されているのをテレビで拝見して、10年の月日を今更に思うのですが。心の奥底までは私にはわかりません。どれほどの葛藤があったことでしょう。口で「ばねにして、前向きに!」と言うのはたやすいですが、経験した人にしかわからないことだと思ってしまいます。でもいつ自分の身の上に起きてもおかしくない地震国に住んでいるのです。心構えや、家族との連絡手段等しておくことは必要ですよね。
亡くなられた方たちのご冥福をお祈りするとともに、まだご家族のゆくえが分からない方たちにもどうぞ心が安らかでありますよう(としか言葉がありません。)
================
にほんブログ村のランキングに参加中です。いつも応援クリック有難うございます♪
にほんブログ村