関西の田舎育ちの私は池袋と新宿の人の多さと喧騒にはなじめなかったなあと思い出します。
デパートの販売の仕事で行っただけで、プライベートで出かけたことはなかったのです。仕事の帰りに駅に向かっていた夜、混み合う駅で向かって流れてくる人とぶつからないように右に左に体をよじりながら改札に向かったものでした。
西部本店の巨大な建物。働く私にとっては社内食堂が遠いので早足で歩いてたどりつき、なるだけ迷わずに食券で昼食を買って一人でサッと食べて。歯磨きをするためにお手洗いに行くのですが、そこもまた若い女性でいっぱい。空いた洗面台を見つけて歯磨きも手早く済ませ、口紅をつけなおして終わり。
巨大過ぎて1時間の休憩時間の短かったことでした。
他の西武の店でも働きましたので、「本店で売れるのは当たり前よ。あれだけのお客さんが入るんだもの。」と、話す販売員さんがいましたっけ。それほどにお客様がいらっしゃらないので、働く時間が長く感じられたものでした。通路を歩いていらっしゃるお客様も販売員の視線が刺さるようで歩きにくいのでは?と、乱れてもいないセーターを畳みなおしたり。
店頭のトルソーに着せている服を変えてみたりと、何かしているように努めていたのを昨日のように覚えています。
その西部本店がストライキとは?!あれだけ多くのお客様と働いていた人たち。有楽町西武の閉店セールにも、吉祥寺伊勢丹の閉店セールにも行きました。
今も耳に残っているのは吉祥寺伊勢丹でのお客様の年配の女性の言葉です。「こんなことになるんだったら、もっと買い物にきたのに。。」私は返す言葉がみつかりませんでした。
憧れだった百貨店。私の世代の人にとっては多くの思い出とともにあるだろうデパートです。
ありとあらゆるものがキラキラと置いてあった百貨店。あれもこれも素敵💓とときめいて見ていた若かりし頃の私。関西にある百貨店までバスに乗って時おり出かけるのが楽しみだったものでした。
まさかその百貨店で働くとは思ってもいなかった頃のことです。
ひょんなことからデパートのアパレル販売員になったのですから。それも関東で。
池袋西武は池袋のシンボルのようなデパートです。時代の変化という一言で済ませるのは寂しいかぎりです。
働いてきた人には生活がかかっていますしね。こんな日が来ようとは。
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