テレビでは見ていますよ。海水浴の様子とか、サーフィンをされている海は。
「誰もいない海」でただ打ち寄せる波を見ているだけの時間。あの波の寄せては帰るのを見ていて決して飽きないのはなぜなんでしょう。
やはり、生命のふるさとだからでしょうか。心臓の鼓動と波のリフレインが体の中で溶けて、まるで胎児のように包まれて。
私のような金槌は海は泳ぐところではなく、ひたすら眺めるだけで満たされる不思議なところです。
水平線の向こうまで海原がつづき、その見えない先には未知の国々があると希望を感じさせてくれるのです。
車を廃車にしてから、どうしても行動範囲が狭くなりました。海べりを連れ合いが運転する車で走ったときは「海が見えるよ!」と声をかけてもらって、子供のように海を眺めたものでした。
今、家の窓から見えるのはふるさとにある緑濃い山でもなく、ずっと広がる家並みとマンションだけです。
7月に帰省したとき、「こんなに緑が多かったかな。」と思うほどに離れていた50年を今更に振り返りました。
海がなかった故郷なので、子供の頃から憧れた海。
海を、人気のない海で寄せては帰る波を見ていたいです。
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