数十年どうであれ一緒に歩いた❓(本当に一緒にだったかは難しい定義かも?)人と別れるというのはどんな感じなんでしょう。私は何度も別れるという言葉を胸の中でチューインガムのように。
そして50年目の今年です。
私が知っている男性が熟年離婚をしたのです。年老いた親が嘆き悲しみ、おろおろとしたのを見てきました。日本では離婚が増えてきていますが、私は経験せずにきたので。手前まで近づいたことがあっても、離婚するエネルギーが今ひとつ足りなかったのだろうと思っています。それが良かったのか、悪かったのかは比較出来ないのでなんとも言えません。
結婚よりも離婚のほうがエネルギーがいると思ったのは私がその当時病気がちだったことも大きく影響しています。生きていく上で必要なのはタフな身体とタフな精神だとしみじみ思いました。ところがその仕事と遊ぶことにかけてはタフ極まりないと思っていた連れ合いが今病気を抱えていますので、タフだとの過信も怖いのだと思う日々を過ごしています。
「一病息災」と昔の人のことわざがあります。お酒も食事も過ぎてはいけないとの戒めでしょうか。
と書きながら、私自身は生まれ持ってきた「寿命」という「ろうそく」なのではと常々思ってきました。その人のろうそくの火が燃え尽きるまでの人生なんじゃないかなと。漠然とね。
老年にさしかかる年齢になってからの別離は離婚でなくても、人生の晩秋の寂しさとともに迫ってくるのではないかとも思います。
でも離婚のしかたにもかかってくることでしょうね。それぞれが納得して(ここが問題なんですよね。)人間が同時に同じレベルで別れる意思を持つことってありうるのでしょうか。ないとは言えないですが、私の知っている熟年離婚した男性は別の人と結婚する意思をもって数十年連れ添った伴侶に突然離婚を告げたのです。
唐突に別離を告げられた人は健康な人でした。私はその人も少々知っているのですが、別離のあと重い病気になって大手術をされたと聴きました。その長い手術の間中、病院の椅子で待ち続けたのはまだ若い息子さんだったとのことでした。
私はこの病気になって手術をされた人のことはもちろん、その若い息子さんの胸に去来した心の闇を思うのです。
人は知らずに人を傷つけて生きていることがあるのもわかっているつもりですが、意思をもってこれほど人を傷つけるとは!と言葉につまってしまいます。
若いときに夫婦が喧嘩ばかりで幼い子供に悪い影響を与えるのなら離婚したほうがとのケースもあるでしょうが。それもシングルマザーがまさしくすこぶるタフでないと、日本の場合「養育費」がキチンと払われない現実が待ち構えていますからね。
物事さように縁あった人が別れるというのは、多くの副作用をもたらします。
「腐れ縁よ。」と言いながら、ズルズルとこの歳まで来ましたが、まだまだこれからが正念場なのではないでしょうか。老いていく二人の頭がそれなりにしっかりしたまま、自分の足で歩いていけるように保っていく努力を続けなければいけないのですから。
ご夫婦仲の良い方も、そうでない方も皆様この荒波にむかって出来得る限り笑顔を忘れずに小さな楽しみをみつけながら歩いて行きましょうよ❣ 歌でも口ずさみながら♪
(題名は「題名のない音楽会」の録画をかけていたら出演していらした若い男性グループの歌う出光興産の CM曲だったんですね。キレイなハーモニーでした❣ 「Lifetime」そうねえ、人生の時間(間違った訳ですかしら?)ぴったりの曲です。)
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