「Give me chocolate!」と戦後の日本の荒廃のなかで、飢えた子供たちがアメリカ兵士の乗るジープに叫んだと聞いていました。
戦後数年経過して生まれた私はチョコレートの味は知ることのないものでした。
紙芝居のおじさんが私の暮らす家の真ん前の空き地まで来て、子供たちが集まっても薄いお煎餅を渡されるだけ。紙芝居のおじさんに幾ら硬貨を渡したのかは覚えていないのです。
夏の夕方には「わらびもち屋」のおじさんが引っ張ってくる車が玄関の前に、ピタッと止まるのでした。早い夕飯が始まる頃、ちゃぶ台に座っていた私がそわそわするのを見て、おじいちゃんが20円だったか?私に握らせてくれるのを手に「おっちゃん、わらびもち!」
薄く削った木の船形の器に、大きなざるですくった「わらびもち」を一杯、その上にサトウの混じったきな粉をかけて。
チョコレートの味を知ったのは、その生まれた家を家庭不和(祖母が若くして病死後、祖父が荒れて、母が泣くことが増えて)で離れた小学校高学年の頃。
昭和30年代です。今年100歳になった父が仕事から帰ってきてコートのポケットから不二家のフルーツチョコレートを渡してくれると、兄弟3人で大喜びしたものでした。
私は昔から「あんこ」大好き人間なので、和菓子が好きですけれど。たまに食べるチョコも味わい深いものが~。
連れ合いが「カカオ」がいいとの健康志向から買っていた「カカオ率の高いチョコレート」がこのところ急激に高騰して断念!
主食のお米の高騰にもため息つきながら、行政はどちらを向いているのやらと。
戦争や、気候変動、経済政策と諸々の大波小波に揺り揺られて~漂う小舟のような不安定さのなか、ささやかな想い出は消えないまま抱いています。
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