私が10歳まで暮らした田舎町の秋、稲刈りのときには大きな「やかん」に一杯のお茶とお菓子を持って行ったのを覚えています。田んぼは人に頼んでお米を作ってもらっていたのです。その頃は田んぼばかりでしたから、さえぎる家もなくて機関車が走るのが丸々見えました。
まだ機関車の時代だったんだと懐かしく、刈り取った稲も「はさがけ」にしていたのも覚えています。今は稲を「はさがけ」にしなくなったようですね。乾燥機で事足れりと。「はさがけ」はお天道様の恵みをお米の一粒一粒に「美味しくなあれ!」としたように思っていて、いまだに稲は「はさがけ」にしてもらえたらなあと農家育ちじゃない私のわがままですかしらね。
機関車は「機関車トーマス」君のように幼い子どもたちに愛されるアニメとなってしまい、「速く、遠くへ」と、狭いにっぽん、そんなに急いでどこへ行くとの言葉も聞かれなくなってしまいました。
その田んぼから見えていた機関車の線路も廃線となりまして、もう何年経ったでしょう。
ご馳走を食べることはなかったけれど、ひもじい思いはすることなく育ててもらえたのには感謝ですね。
言わないでいたいと思っていましたが、「昭和」の豊かではなかったあの時代が妙に愛おしく思い出すのは歳のせいですか。いいえ、みんなが豊かでなくとも一生懸命に生きていたから愛おしいのではないかと思うのは、私の夢想でしょうか。
機関車のあの勢いよくあげる汽笛が「頑張ってるよ!」と聞こえていました❣
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