10歳まで過ごした郷里で、祖父は田んぼを持っていました。でも農家ではなかったので、お米を作ってもらっていたのでした。
田植えのとき泥の中に足を入れた感触を覚えています。「ひるがおるで。」と言われて人の血を吸う「ひる」が怖かったのと、その時もう幼くはなかったのでズブズブと入って行く泥に戸惑った私。
天が高い稲刈りの秋は、お茶の入った大きな「やかん」とお茶菓子を持って行きました。鎌で稲の束を刈り取っていただくのですから「おおきに。お茶をどうぞ。」と、母の代わりに。刈った稲穂は「はさがけ」にして天日干しに。
今でも私は「はさがけ」にしたお米を食べたいと思う思い出の秋の田んぼ。「はさがけ」の田んぼの光景は減ってきて、今はガスによる乾燥だとか。
お天道様の恵みはお米も、シイタケも、渋柿も美味しくしてくれていたのです。
そんなお米を食べて育ってきたのに。
私が今の地に暮らし始めたころには響き渡っていたウシガエルの発する大きな鳴き声が消えて、雑草が生い茂っていた休耕田に今や戸建てが続々と立ち並んで。
私でさえが「こんなに田んぼがなくなって、どうなるのかな。」と不安を覚えるほどの急激な変化。
数年前に息子から「マイルがたまってるから、旅行に行きませんか。」と急に言われて、鳥取空港までの往復航空券をとってもらいました。慌てて並行して宿を予約したのですが、宿は松江城に近くて、鳥取空港から県を横断しないといけない結果に。私がしでかしたドジに気づいたのは鳥取空港に着いてから。
でもそのおかげで、鳥取の田植え後の青々とした田んぼが切れ間なく続く風景に感嘆したのを思い出します。少し苦笑いの副産物の特急電車の車内から。
日本の原風景の田んぼです。
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