少し前の娘と電話での話です。
「お母さんは{散骨}なんて軽く言うけどね、結構大変なのよ。残されるものにとってはね。」と話し始めた娘に。
「あらそんなに大変なんだ!」と少し居住まいをただす気持ちになった私でした。
ここ最近の連れ合いの様子も、私に覚悟をしておきなさいよと言われているかのごとき、弱り方なんですわ。お風呂に入って、長風呂でもないのに「疲れたぁ。ああ、しんど。」とパジャマをやっと着てから椅子に座るといった感じで。
よっぽどしんどいんやね。抗がん剤を休止したとて、既に身体の多くの機能が抗がん剤やらたくさんの薬で傷めつけられたんやわと、言葉につまります。
前期高齢者になっている私ですが、昨年夏の連れ合いの兄の納骨だけしか、身内の人の葬儀など経験がなく今にいたるのです。
娘から指摘されて、都内の友人に電話で「葬儀などの話」を聞いたのですが、彼女は関東圏内の人なので、私のように関西の生まれで地縁などないものとは少し違いも感じたのでした。
昨年葬儀と納骨を済ませた兄嫁に電話で聞こうと思っても、弱っている連れ合いの耳に入らないようにと思うと、なかなか電話をかける時間が難しくて~。
生きていくのに、医療費と、食べることと光熱費と、健康保険料と介護保険料、税金等でフーフー言いながらの日々の暮らしに、加えて「死後」のことまでお金が必要になるんですものねえ。
私は若い頃から「お墓も戒名も何にも要らない。散骨してほしい。」と言い続けてきたんですけど。
友人に諭されてしまいましたわ。「お子さんたちの気持ちも考えてあげないとよ。」と。
やっと、お義姉さんに聞くことが出来た昨夜。
30年も前にお義姉さんの知人が亡くなったのがきっかけで、葬儀も納骨も契約されていたことを知りました。その契約先を教えて貰ったので、詳しい話を聞いてみようかと思ったのですが。
さて子供たちに考えを聞いてみてから、子供たちに迷惑をかけないで済むようになんとかしていこうかと、メールにて送りました。返事を待ってから『終末』のことを決定しますわ。
お義姉さんは「お守りだって、言うからね。契約するのは。もっと長生きしてもらわないといけないからね。」と言って、心配してくださいましたですけれど。
そう話されたお義姉さんと、我が連れ合いの年齢は1歳しか違わないのです。「一人でいると、話もしないでしょ。友人たちもみんな具合が悪かったりだし。どこか施設にでも入れるか、相談に行ってみようかと思ったりしているのよ。」と。




