関東に来て約半世紀が経ったというのに、まだ「お雑煮」はお餅は焼かないで白みそで作るのは変わらないです。お餅は本来「丸もち」でしたが、いまはなかなかこちらでは見かけないので、角餅ですが。
私と連れ合い 二人ともに関西なのでもめないですが、西と東生まれのご夫婦はどうされているのでしょうか?
さて、暮れに開高健氏の本を図書館から借りてきて読み始めました。「消えた”私の大阪”」を読みながら、「そうなんよ。そう、そう。」と思わず「おんなじなんや。」と手を打たんばかりに思ってしまったのです。「故郷喪失者の故郷」も同じで「大阪へ帰る」が「大阪へ行く」に変わる、それでもって東京へ戻ってくるとき、東京駅に電車がすべりこんでも、なんのトキメキもおぼえないというところも同じなんですわ。
田舎もそりゃ半世紀もたてば様変わりしてるのは当り前ですし、働いていたときは(まして私のように接客業は休みがまとまってとれることは困難でしたし)頻繁にかえれるはずもなく、いつのまにか遠い遠いところになってしまって。かといって今すんでいるこの地は「住んでいる、住んできた。」としか思えない地なのです。もう10年も、いいえもっと前からでしょうか、「私は関東にも関西にもしっくりきていない”宙ぶらりん”やなあ」と思うようになってきていました。
「根無し草」ともちがうのでしょうか。ヤッパリ”宙ぶらりん”がぴったしくる感じなんですね。
淋しい、なんて言葉も違うし、なんとも妙な感じとしか言えません。
今朝、田舎にいるもうすぐ96歳になろうという父に電話をしました。少し、言葉がもつれるのはふだん人と話していないから仕方ないのは承知しているのですが(ましてこのコロナ騒動では余計に話す機会もなく)「今、ベッドの上で天井を見ながらしゃべってるからなあ。ひとともしゃべることもないしなあ。せやけど、新聞だけは隅から隅まで読んでるで。まあ、それしかしゃあない、することないからなあ。」「今年は阪神タイガース、戦力補強してるからな、やってくれると思うとるんや。それだけが楽しみや。」と。
父は川柳を書いては新聞に投稿して何度も新聞に掲載されて、昔の友人が新聞を読んで「名前みてなつかしゅうてなあ。」と電話をもらったことがあるんやと、思い出話をしてくれました。思い出話をすることは老化防止にはいいと聞きますからよかったかなと、ほんの少し親孝行できたでしょうかね。私も川柳に挑戦しようとした時期があったのですが、いやあむずかしいもんだなと自分の感性の無さから諦めてしまいましたわ。
開高健氏の「曲球と直球その他ー大阪弁と東京弁」の中で「アンコロ餅のようにくにゃくにゃした大阪弁で暮らしてきた耳には、東京弁がひどく甲ン高くて鋭角が多いように聞こえてならない”カキクケコ”の音が耳について~」「いつも叱られているような~」とありますが、母が生前わたしがこどもを叱ると、「キツイなあ!」と言っていたのを思い出します。
私は言葉も家では「ちゃんぽん言葉」で、仕事に行っていたときは関東弁を使っていましたが、一度だけ耳のよい女性から「あなた、関西ね。」と言われたことがありました。どうしても、イントネーション(発声の抑揚というべきなんですよね。英語の単語だけが出てくるんだから、全く!)が違うのは直せていないのですね。たとえば「マッチ」のチの音が下がるとか、姓も私の姓を呼ばれても全く違うように聞こえていましたから。「えっ、私のこと?」と。
からだにしみついた、しみこんでいるものは取り切れないものなんだと痛感します。
このまま”宙ぶらりんじん”でいくのでしょうね(^_-)
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