昨日書きました都内の整形外科で、40歳台にCTを撮りましたら、椎間板ヘルニアとは違う脳神経外科分野の膿腫がみつかりまして。
脳神経外科に回されて、また遠い病院の脳神経外科への紹介状を出されました。通うには遠すぎる病院でしたが、連れ合いに数回車で連れて行ってもらったものです。車でももちろん大変時間もかかり、通うのだけで一苦労でした。運転が好きな連れ合いだったので、助かりましたが。
電車でも乗り換え、乗り換え行ったり、その病院でも痛みドメのための入院もしました。すぐに命に関わるものではないとの医師の言葉でしたが、仮に衝撃を受けてその膿腫が破裂したら命に関わるという変なものを体内に持っているのですわ。毎年は行けないので、5年ほど経過してその遠い病院でCTを撮ってもらって、医師から「少し大きくはなっているが、まだ大丈夫そうだな。」と言っていただきました。
そろそろまた行ってCTを撮ってもらったほうがいいかなとコロナ禍の前に担当医師が脳神経外科の部長でいらしたので電話で「まだ変わってらっしゃいませんか?」と聞きました。案じていた通り、もう変わってしまっておられました。担当していただいた医師は気さくな方で話しやすくて気持ちが楽だったものですから。がっかりしました。
結果、遠いのもあり、コロナ禍も重なって行っていません。厄介なものを腰に持っているのだとの自覚だけは消えることはないまま。
少しはまた大きくなっているのかもしれませんが、今のところ生活に支障がないので様子をみて、コロナ禍が収まったら一度CT検査をしていただくしかないと思っています。
いろんな病気があるものだと、20歳代から辛い腰痛を繰り返し経験してきて、入院も数度。私は祖父母から親戚すべてがんで亡くなっているので、今96歳の父の口癖が「わしは胃がんで死ぬんや。」でした。その父が96歳まで長生きで!
私でなくて、連れ合いが「肺がん」だ、実際は腎臓がんで手術するとは!と思ったものです。私が「がん系」だったので、ラーメンの「〜系」じゃないですが(笑えないブラックジョークになりますかね?)
がんは、というか全ての大半の病気はストレスが一番良くないとは聞きますね。ストレスの溜まらない仕事ってあるのかしらと、現役のときはよく思っていましたが。ストレスの対処を上手くするしか手立てはないのでしょうね。好きなことをする。ストレスのガス抜きをするにはね。私は「音楽」ですね♪
でも仕事をやめてから、先日も娘から「お母さんが太るとは思っていなかったわ。」と言われましたが「私も自分で太らない体質だと、胃下垂だしと思っていたわよ。」と。
現役のときは食べられなかったり、神経はすり減るしとの最悪の生活でしたから太れなかったのです。わかりやすいものです。
まだこれからわかりませんが、なるようにしかなりませんので(^_-)
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