いまは豊洲に移転してしまいましたが、いまだに「築地」という名前は消えないでしょうね。世界の築地ですし、日本人にとっても「築地」はわすれることの無いブランドだとおもいます。
私が40歳代で保険の外交員をしていたときに、保険会社から「あなたはここを担当してください。」と与えられた地域をその保険会社の顧客以外のお宅やアパートに保険会社の言い方で「飛び込み営業」をしていました。もちろん、玄関払い(インターホン払い)が絶対数的にほとんどでしたよ。だからといってそれをしなければ、顧客名簿だけを頼っても同じような結果でしたから。一軒一軒インターホンを押してめげずに歩き回っていましたある暑い日に訪ねたアパートでドアを開けていただけたんです。ドアをあけてくださったのが、背が高くて細い、ランニングシャツにトランクスだけの私よりは若い男性でした。一瞬きもちが引きましたよ!その当時の我が連れ合いも家の中では夏はトランクス派だったのですが、さすがに玄関に出る際には半ズボンなりを着てましたからね。ちょっと「えっ!」という思いは押し込めて家の中に上がらせてもらいました。
それも「おう!はいれよ!」と男臭い荒っぽい言葉もありましたので、よけいに少々身構えていたと遠い記憶ですが、覚えています。お宅にはおとなしい奥様とまだ幼いお子さんがいらっしゃいました。保険の話が訪ねた要件ですので、お仕事の話を聞いたりしましたら「俺は築地で働いてるんだよ。仲買の仕事だから、明け方から築地だ。」と口数は多くなく、それでも彼の幼いお子さんに障害があるということもわかりました。そのお子さんの将来を案じる父親の顔を見ましたので、私がたまたまピンポンと玄関チィムを鳴らしたタイミングが彼の気持ちと合ったのかもしれないなと思います。玄関での見た目の印象や少しぶっきらぼうに聞こえる彼の物言いは決して彼が気の荒い人だというのではなく、仕事柄営業のような口をきく必要がないだけだと話してるうちにすぐ理解ができました。人一倍お子さんを思う優しくて責任感のある父親の彼はすぐに1億円の保険の見積書を後から持っていきますと言う私に「持ってきてくれ!俺はこの時間なら家にいるから。」と答えてくれました。結果、彼は健康でしたので1億円の保険に加入していただいたのです。私はトランクス姿の彼に偏見ももたなかったのですが、現在だったらどうですかねえ?なんともわかりませんね。
今日の明け方ふっと目が覚めたときに、なぜかそのトランクス姿で玄関にでてくれた彼を訪ねた折の光景を思い出したのです。もう20年以上経っていますので彼もご家族もお子さんも同じ時間経過で今どうしていらっしゃるのかと思ったのです。保険の仕事はいろんなお宅に上げていただき、保険の契約や解約手続き等をさせていただきました。幸いにといっていいと思うのですが、亡くなられて保険金をお支払いをしたのは一度だけでした。その亡くなられたご主人様がお元気だったときに保険金額があまりにも少額だったので、「保険をもう少し大きくされませんか。」とお話をして納得してくださったんですね。まさかそのご主人さまががんで亡くなるとは思いもしなかったことでした。がん病棟にお見舞いにも行きましたが、結果は悲しいことになり後日奥様に保険金のお支払いの手続きでお会いしたときは言葉がでませんでした。私の友人のご主人が亡くなったとき、保険金の支払い手続きと一緒に保険外交員さんが私の友人に「あなたが一人でお子さん二人を育てていかないといけなくなったんだから、あなたも保険に入っておきなさいよ!」とご主人の保険金から一時金で保険に加入したのよと聞いたのです。それを聞いたときに「ああ、私もそう勧めるべきだったのかな?でもできなかった私は保険のプロじゃないのかな?」と思ったこともハッキリ覚えています。どうなんでしょうねえ。筋から言うとお母さんが一人で子供を育てていくのに、もし何かあったらと思うと勧めるというのも確かにありますね。私は悲しみにくれている奥様にそれを言い出すことがとてもできなかった、やはりプロではなかったということでしょか。その奥様もどう生きていらしたことでしょうか。
保険という仕事はそういうふうにいろんな人の人生に関わるという大事な仕事だったんだと思います。今更ながら。
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