一度も降りたことのない都内の駅に。昨日は義兄の納骨の日でした。
白く大きい壺から少しのぞく、しっかりしたお骨。霊園の椅子に腰かけたまま、骨太だった義兄が収まり切れていないような骨壺から私は目が離せませんでした。
私の連れ合いと変わらず年令の割には身長もあった義兄の生存の証しを見る最後。
零れ落ちはしない涙が角膜を覆って。いずれ私も同じようになり、いいえ人間は皆等しくそうなるのだと。音が消えて、真っ白い壺とのぞいていたお骨だけが残像として、今もあります。
連れ合いが眠った後、イスラエルとガザの憎しみの増幅、連鎖が人間を狂暴なケダモノと化していく現実を見るつもりがなかったのに目にしてしまい。
言葉がみつかりませんでした。「正義」だと言ってはばからず、爆弾を投下し続けるのも人間。
自分に近しい人ひとりの最後に胸がつまるのは、誰しも同じでしょうに。
人間の振りかざす「正義」の怖さに凍りついて、胸が痛くて、痛くて
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