激しい腹痛で救急車を呼んで、入院したと聞いてからは最悪の事態にならないようにと願っていました。70歳近い年齢ですが、現役でキツイ建築関係の仕事をしているのです。
それで親子3人の生活が維持されているのですから、大黒柱が倒れたら母娘はどうしていくのかとどうしても思わないではいられませんでした。
ただ、入院した翌日に妹が制限された時間にガラス越しで会ったとき、義弟がお腹が空いたと(絶食3日間と医師から宣告されていたので)と言っていたと聞いたときに少し安堵しましたが。
それでもまだ油断は出来ないなと思っていたのです。胃カメラや検査を受けた結果、医師からひどい虫垂炎だと結論付けされたようでした。ですが切除すると腸の癒着を起こすかも知れないので、薬でちらしていく方向ですすめますとの判断をくだされたそうです。
そして1週間の入院を経て、退院したと電話があって、とりあえずホッとしました。
昨日妹との電話では3K近く痩せてるし、ご飯も前のようには食べられないみたいだと。さすがに現場仕事はまだ無理なので、家の中でゴソゴソ動いてなんかしてはるわと妹。若い頃から、娘のために卓球台を作ったり、DIYが得意の義弟でした。廃棄の風呂桶に金魚を飼ってみたり、その金魚を狙う鳥などから守るために色々工夫して作ったりしていたようでした。
高校生の時は野球部に入っていて、昔の運動部の悪習で「水は飲むな!」と怒鳴られてあまりの喉の乾きに田んぼの水を飲んだと聞いた世代です。
頑張りやの底力でまだまだ仕事を請け負っているようですので、そうゆっくりもしていられないみたいです。来週の月曜日から往復4時間車を運転して県を越えての現場へ行くと聞きました。
思わず「ああ、しんどそうやなあ^^;」と言葉が出てしまった私でした。
私自身は電車でしたが62歳でしたか、神奈川県まで仕事で4時間往復したことがありましたのでね。その仕事の途中で発熱しまして、急遽かかりつけ医に行きまして、申し訳ないとは思いつつ往復4時間かけて仕事に行くのは無理だと思い、営業さんに連絡しました。
後で医師から「あれはマイコプラズマだったよ。」と聞かされました。ちょうどGWのさなかでしたので、電車は行楽客で満員で2時間立ちっぱなしで、仕事も立ち仕事です。電車内でもらったのか、相模原のデパートでもらったのか、もらいたくないマイコプラズマ菌に仕留められてしまったのです。疲労に追い打ちをかけられたのだと。
義弟も往復4時間運転して行くだけでも大変なのに、現場仕事が待ち受けているのですから。この暑さのなかでね。
体力、気力、やらねばならぬ責任感でその現場で頑張ることでしょう。仕事はその信頼にこたえることで、次の仕事に繋がっていくものなんです。とはいえ、無理は禁物なんですけどねえ。でも私もわかりますが、一旦現場にいけば無理もするものなんですわ。
その後に娘の結婚式が控えていた私でした。結婚式もまだ完全に体調が回復していなくて、モワッとした頭で座っていたので、娘から「お母さんはなんだか反応が鈍くて〜」といわれましたが。病み上がり切っていない私は出席するだけで、精一杯でした苦い記憶がよみがえってきました。
やっぱり元気が一番なんです。でもね、ウイルスも菌もその辺に目に見えず存在しているのですから。よく寝てきちんと食べて内蔵も労って上げないと打ち勝てないですので、ご自愛なさいますよう❣
================
にほんブログ村「団塊の世代」カテゴリーのランキングに参加中です。
いつも応援クリック有難うございます♪