100歳の父が椅子から落ちて、大腿骨を骨折して手術したとの電話をもらったのがお盆のことでした。
帰省しようと思いながら、定まらぬお天気に一喜一憂してる間に、時計の針は休むことなく刻み続けて、私と父の人生を遠くへと運んでいく準備を進めていたのでした。
「この愚かなる」ものに時は容赦がありません。
お盆の帰省ラッシュを避けて、ようやっと電車に飛び乗って~
新幹線に在来線と乗り継いで、見えてきた故郷にも時の洗礼は降り注いで。
ようやっと逢った父は、私の顔を見るなり「よう、来てくれたなあ。」と白い、白い顔で。
うつらうつらと眠り、覚醒しては、体を維持するには到底足らない水と食物のみ。
時を刻む音が~
「諸行無常」
なんで、ここで仏教用語がでてくるんやろ。