昨日のことです。ご近所の80歳代の女性がピンク色の椿の花を「きれいでしょ!あなたにあげたくて。」ともってきてくださいました。
じわじわと認知機能の衰えが見え始めてきていらして、以前は私の連れ合いにも挨拶をしてくださっていたのですが、最近は私のことしかお判りになっていません。
足取りも買い物用のキャリーバッグを支えにゆっくりになってらして。それでも、寒くても風が強くても歩いていらっしゃるのです。その意思の強さには感心させられています。「歩かないと、歩けなくなるでしょ。」と必ずおっしゃるのですから。
さて、そうして椿の花を持ってきてくだすったので何かお礼の気持ちをと手作りの「かぼちゃのサラダ」をスーパーマーケットのプラのパックにサランラップを敷いたのに入れて持っていこうかと私。買い物に行ってきて、小松菜など買ってきていたので、小松菜をと思って「いや、今はダメかもしれないな。」と。
このところ彼女は台所に立っていることも無理な様子ですので。ご主人さまが毎日買い物に行っておられるのを見かけます。そのご主人も膝が悪くて痛みがあるようですけど。
小松菜より、そのまま食べられるものの方がいいのではと。お昼に作ったばかりのカボチャのサラダ(新玉ねぎのみじん切り・ブロッコリースプラウト・ゆで卵・シーチキン缶・マヨネーズ少な目・オリーブオイル・りんご酢少しを混ぜたもの)を。
台所でパリパリと音がするので「もしや?」と「洗って置いてたプラの容器を切ってるの?」と連れ合いに尋ねると「せや。なんや?」と言うではないですか!
ゴミ捨てをしてくれるようになってから、「プラの容器はそのまま袋に入れるな!切ってから入れないとすぐに一杯になるからな。」と指示されるようになっています。習性になっているのはわかるのですが、私の話を聞かなかったのか、聞こえなかったのか?
「ああ!お礼にプラの容器にカボチャサラダを入れて持って行くって言ったでしょ!」と声を荒げてしまいましたわ。
連れ合いは「皿に入れて持って行って、皿は返していらんからと言えばええやろ!」と無茶な怒りに転嫁してきました。
我が連れ合いも耳が遠くなって、元々あまり人の話を聞くタイプではなかったのがますます加速の度を増しています。「聞いてくれればいいでしょうに!」と私。無駄でした(T_T)
大丈夫かしら?!散歩のパターンも変えることなく、同じ西部劇を繰り返し見ている連れ合いの姿を私は少々不安な気持ちで眺めているのです。
お饅頭の容器があったので、その容器に入れて持っては行ったのですが。一筆箋に「お口にあいますか、どうか」と言葉を添えて。
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