先日も「怒り」が充満した部屋にいると、人の生命をも奪うという怖さを書きましたが。
「鈍感力」という言葉が注目されたこともありました。
プレジデントオンラインで、「ネガティブ・ケイパビリティ」との文字が目に入りました。「何が起こるかわからないという不確かさの中で、そこにただたたずんでいる力。耐えるより共存する。」との意味だそうです。すごい言葉です。真に強くなければ出来得ないことですから。
わかりやすい例えとして井戸に落ちてしまった時、パニックを起こしてしまいますよね。でも深い井戸だと思っていたら、意外と浅い井戸だったことに気づくような。(ほんとうに浅い井戸であってほしいものですけどね。)
「怒り」を感じたときに、自分はなにに対して怒りを覚えているのかと客観的に自分をみられるか。むずかしいことではありますけどね。常に、自分をみつめる「もうひとりの自分」を持っている感覚を養うということ(言葉で言うのは易しだと思いますが。)で
「パワハラ」などということがなくなるのですけどね。怒りにまかせて怒鳴り散らすのは簡単です。全く「理性」が働いていない状態なのですから。ブレーキのない暴走する車です。
「感情」と「理性」双方持ち合わせているはずなのです。最近「理性」をどこに置き忘れてきたの?という事件、衝突が多いように感じています。「恫喝」したほうが勝つというのはいかんともし難い「怒り?!」を感じてしまうのですが。
(中島みゆきさんの「ファイト!」という歌の中に「私の敵は私です」というフレーズがあります。そうなんです。その自分を見つめている視点がすごいなと思う好きな歌です。)
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