若いときには何も思わず、あたふたと忙しさに追われて暮らしていました。自分の内臓がきちんと動いてくれている、なんて感じることももちろんなくて。
最近人体について研究されている方々によって知ることができるようになりました。
なんて凄い働きをしてくれているんでしょう。心臓、肝臓、肺、腎臓、脳ももちろんのこと。黙々と休むことなく動いてくれているので、こうして拙い文章でも書き綴ることができるのです。
「当たり前」ということはなくて、すべてこうした地道な働きによって支えられているのだと。
こうした「神秘」を知ることは、「生命」の重さを知ることに通じるのでは。
昔、理科の実験で「カエルの解剖」をしたのを思い出しました。なんであんな中途半端なことをしたのでしょう。子供心に「命の重さ」を感じたか?というとそこまでの記憶がないのです。
戦後の貧しい日本の田舎で子供だった連れ合いが言うのです。「ガキ大将はいたけど、弱いものいじめはしなかったな。今みたいに。」「山や近くにあった駅の倉庫で遊んで、駅員さんに怒られたりしたけどな。晩御飯だぞと呼びに来るまで遊んでた。」と。
まったくもって「寅さん」の子供時代と同じ。それを優しく、時には叱りながら見守ってもらっていた貧しかったけれど懐かしい思い出。だから「寅さん」の映画に笑いながら、寅さんのやさしさにほっこりするのですよね。
「命の重さ」などと固い言葉は使わずとも、貧しくてもみんなが必死に生きていた時代。生きるのに多くの人が一生懸命だった時代は遠くに。
「年寄りのセンチメンタル」と笑うなかれ!
「AI」が進化しようと、人間が人間らしくあったかい血が流れていなければ意味がないのです。
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