結婚という形態、当たり前のようで難しいと歳を重ねるほどに思うことをよく続けているものだと、しみじみ思うことはあります。
今はまだ私と連れ合いの二人とも元気(連れ合いは腎臓がんから肺がんに遠隔転移して、抗がん剤を3年半たった今も。腎臓は一つ摘出していますし、全身の痒みという副作用はあるものの。食欲もありますので。)なので、口が悪い関西人でもあり口喧嘩にもなりながら、50年。
スピルバーグ監督の映画を一人で見てきました。どうして映画監督になったのかという自伝的な映画だという評伝でした。
家族、家庭というのが出発点になるので、スピルバーグ氏がまだ幼い子供だった頃から成長するなかで親の存在が大きな影響を与えたのはもちろん。母親と父親の考えの相違に戸惑う若かりしスピルバーグ氏の心の葛藤も描かれていましたね。完全な親も、完全な子供もいないのです。手探りで共に生きていくのが親であり、子供なんだと痛感させられもしました。
2時間半という長い映画でした。祝日でもあり、満員の観客のなかで。お昼ご飯を食べずに12時に座ったので、映画館のビル内のパンやさんでパンを買って持っていたものの食べるのを忘れて見入っていました。
人間が家族として暮らしていくなかでの、心理描写を監督の記憶のままに描いていらしたのでしょうが。あまりにも身につまされる感がありすぎました。
夫婦と子供、それぞれに感性も考えも違うのです。
最後に監督のお母さんとお父さんへ捧げると字幕がでました。既にご両親ともに亡くなられているとのことでした。
私は経験したことはないのですが、監督のお母さんの胸の内が少しわかるような気がしたのは同じ女性だからでしょうか。
監督は男の子の視点です。当然。監督の妹さんの一言が「やっぱり女の子にはわかっているんだわ。」と思わせられるシーンが強く記憶に残っています。ですが、それも監督ともうお一人で脚本を書いてらっしゃるのですから。妹さんの言葉を覚えていらしたのか?
どれほど男性と女性の、夫婦の間にずれがあるかは個人差も大いにあるのですけれど。
映画の内容を書いてしまうわけにはいきません。ですが、深層心理は本人も意識しないで夫婦が折り合いをつけて暮らしていることのほうが多いのではないかと私がそうだったので、身につまされながらいました。2時間半、なまなましく他の人の人生に触れて、また監督の人生の前半を2時間半にされた「さすがの手腕」にも感嘆して。
映画の後、寄り道もすることなく、する気持ちにならなかったという方が正しいですが。
帰りの電車の中でスピルバーグ監督のウィキペディアをみながら、気がついたら自分の駅に。
また、私の日常に戻っていきました。曇り空の夕暮れに。
子供たちも親の影響を受けながら、自分の道を模索して行くというアタリマエのことを私自身の過ぎきし半世紀を思い起こして。私の子どもたちにもこの未熟な私たち夫婦が影響を与えたのだと思いをはせながら。
監督の子供の頃の家を再現されて、それを目にされたときに感極まったと私が電車の中でみたスマホにありました。父親役・母親役の俳優お二人に抱きしめられたとも。そのときどんな思いが胸に去来したことでしょう。映画とは。。まったくもって、、
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