我が連れ合いは自分の頭をバリカンでガリガリと刈っています。私と結婚する30歳前から髪の毛が薄くなり始めていたので、義理のお姉さんから「早く結婚したほうが〜」と急かされたと話していました。本人も「髪の毛があったら、もっと若くみえるのになあ。」と言うことがありましたけどね。今はさすがに後期高齢者になり、聴くことはないですねえ。
私がお見合いしたときに喫茶店の部屋に入ってきた今の連れ合いを見て「おじさんだ。」と思ったのは髪の毛を見て思ったわけではなく、20歳のワタシからすると28歳の男の人と会う機会がなかっただけのことでした。職場の男性は大半がうんと年長の人ばかりでしたし。
頭髪の薄さにはこの育毛ケアを使えば髪がフサフサに!というCMが最近やたらに多いなあと。
男女問わず、美の基準のひとつになっているようです。まるで平安朝の女性のあのなが〜い黒髪が美女のものさしになっていたのと時代は移れど変わらないということですかねえ。
シャンプーもなかった時代には髪の毛を洗いすぎることもなく、椿油のようなものでツヤツヤと美しかったことでしょうね。食べるものも現代とは大きく違い、そんなに洗う必要も感じなかったのかしらと勝手に想像します。
確かに髪の毛がないと頭は無防備な状態になります。我が連れ合いにもよく言うのです。「帽子をかぶって。」と。冬は寒いですし、夏は直にお天道様の強い光線を浴びてしまいます。不注意になにかの角に頭をぶつけたら即怪我に繋がる可能性は高いですしね。
それ以外には見た目ですけど、ずっと見てるとそのバリカン頭も含めて私の連れ合いなのですわ。急に髪の毛があったりしたら逆にびっくりして、見間違うでしょうね。
何が言いたいか、おわかりですよね。鼻の高さや目・口の大きさと同じレベルで「嗚呼、鼻が高いわ。目が大きいわ。」などと毎日思って見ていないようにTOTALで見ちゃってるだけなのです。まあね、私が「しわがなければ。」とかなわぬことを思うのですから「若さに対する願望」は年齢を重ねてみて感じるのです。
それでも心が生き生きしていられれば、顔の造作は変わらなくても、しわがあっても顔つきが違って見えるのですから人間って不思議です。
外見だけではない部分がにじみ出て来るのが人間。邪気のない笑顔であったり、優しさを感じる温厚なお顔の方にお会いすると髪の毛のことなど目にも入ってきませんから。
まあ「中身が大事」ということでして。せいぜい心おだやかに、こざっぱりとオシャレを楽しんで過ごしたいものです。
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