私の1歳年下の友人は40年前にパートで働いた銀行で、やはり同じパート仲間でした。彼女も独身のときに金融機関勤めをしていて、総務部門のパートとして、私はフロントの後方で通帳や証書をコンピューター入力する仕事やかかってきた電話に対応したり。
たった1年間でしたが、当時福利厚生の一環のための食堂が2階にあり食事を共にする日があったり。銀行という職場も当時は一斉に昼休みをとれる状況ではありませんでしたので。
閉店する午後3時までは無駄口をたたくという時間など全くなくて、ひたすら仕事に集中する日々でした。
それでいて40年前は土曜日も午前中開いていたので、週6日勤務。
総務にいた彼女とどうやって話をするようになったのかも、遠い記憶で覚えていないのですけれど。3時の閉店後に5円勘定が合わないと総務を中心に店内総出で点検しなければいけないのが銀行業務でした。
彼女は小柄できゃしゃな女性でしたが、働き者で風邪ひとつひかない頑張り屋さんでした。ですが、当時静かに離婚を決意していて娘さんの中学校入学を機に決行したのでした。
その後は距離的に遠くなり、彼女は実家の近くのスーパーマーケットの総務で働くように。年一度程度は一緒にお茶を飲むために、彼女が電車に乗ってきてくれていましたね。もう一人銀行の食堂で食事を作ってくれていた女性と3人で合っていたんです。
この40年の間、彼女の勤務先のスーパーマーケットは大手に押されて無くなって、違うスーパーマーケットに行ったり、ここ数年は朝コンビニで、午後スーパーマーケットのレジ係と相変わらずの働き者。
ご両親を見送り、実家も売って、娘さん夫婦の住む住まいの近くへと。着々と淡々と彼女らしい人生の歩み方をしていたようでした。
ただ最後の勤め先の大手のスーパーマーケットのパートの仕事が相当きついものだったようで、ぼやかない彼女が「9K痩せてさ。食べてたんだけどね。顔に変化は見えなかったのに、首を見たらギョッとしたわ。しわしわになってて。疲れも酷くてね。」と。あれもこれも店頭の仕事全般をせざるを得なくて、神経が休まらなかったと彼女。
それでも70歳の定年までと、歯を食いしばっていたようで。さすが!頑張り屋の彼女です。4月で70歳になって、解放されたと話してくれました。「やれやれだったわよ。一緒に働いていたまだ若い人も愚痴っていたけど最近辞めたみたい。」と言うのですから、どれだけ過酷だったかがうかがい知れます。
今は週に3日、一日3時間の仕事に行っているとか。体重が1K戻ってきたわと彼女。
つい最近私も「彼女に連絡とってないなあ。どうしてるかしら?」と思いながら電話をかけてなかったのです。まさに以心伝心。
「さっき歯磨きしながら、私が引っ越したこと貴女に言ったかしらと急に思ってね。」と話し出した彼女でした。
ありがとう💓働きづめのあなたが私のことを思い出してくれて。。
私は貴女の働きぶりにはいつも頭が下がっていたのよ。早く体重が戻りますように。じゃないと、強風に飛ばされてしまうからね。そんな体重じゃ!
過酷なダイエットの話ではなくて、これほど過酷な環境で働いている女性たちが精神的にも身体的にも健康を保てますようにと願うのみ。
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