「パジャマは家にいるように、毎日洗えないんやからね。お金を払えば貸してくれると書いてあるし。」と昨日の昼間、肌着等の準備をしながら連れ合いに言いましたら
「ええんや、そんなんは。お前な、山に登る人が毎日洗濯するか?せんでもええんやから、もてる分だけもっていくから。」と言い放った連れ合いは山登りなんぞに行ったことはないんです。毎日洗濯機にパジャマを入れて洗っているのは連れ合い自身なのに。
山登りに行っていたのは、大学生だった当時の娘です。モンゴルツアーにまで行ったんですから、山ガールなんですわ。お手洗いもないわ、お風呂も子どものビニールプールのようなのにお湯を入れて星空を見上げて真っ暗な夜を体験したと聞いて呆れたものでした。
連れ合いは山登りの経験もないのに「なあ、おまえ。山で洗濯するか。」とどこかで聞いたと思ったら、これは「寅さん」の関西弁バージョンだわと。
今武田鉄矢氏の「昭和は輝いていた」(テレビ東京)の倍賞千恵子さんの特集番組の録画を見ていたのもあって。「寅さん」を思い出して懐かしく、大好きな「下町の太陽」も倍賞千恵子さんの声に合わせて歌っていたせいでしょうか。
我が家の「寅さん」のやせ我慢ぶりが口調まで似ていて、思わず胸の内で笑ってしまっている私がいました。
腸の辺りに何かが見えるというCT映像を確認するための内視鏡検査が待っています。抗がん剤を4年半近く点滴だったり、服用したりしてきての検査入院です。春が来れば80歳になるのです。
ケンカをしながらの日々でしたし、最近は活舌ではない連れ合いのブツブツ言う言葉が突発性難聴に加齢が加わった私の耳には雑音にしか聞こえなくて。「うるさいなあ、おじさん、何を言ってるの。わかるように言ってくれない?」と口にしてしまうこのごろだったのです。
それでも、いざ入院が近づいてくると。コロナ禍の影響で面会は出来ないですのでと、病院からの注意事項を聞いています。必要なものをただ病院の受付に渡すだけですよと注意点が箇条書きのプリントを渡されているんです。電車を乗り換えていく病院までは小一時間かかります。
コロナ禍に入る前の年の9月に腎臓がん摘出手術の際と、最初の抗がん剤が体に合わず、発熱・食欲不振・味覚がなくなるなどでの再入院のときより年齢を重ねているせいですかね。病院が遠いなあと先日感じました。あの当時は毎日通ったものでしたのに。
毎年のレントゲン検査で肺がんの疑いだと封書で届いたときの衝撃が大きかったうえに、実は腎臓がんです・早急に摘出手術をしなければいけませんと慌てた様子の医師の言葉に二重の衝撃。突き動かされての慌ただしい日々でしたので、体が動いたのだろうと思い出します。
「寅さん」の映画を観てると、笑いとしんみりが交じり合ってしまうあの感じと似たような我が家のやせ我慢君の検査結果を待つしかできない今の私です。
今日は「節分」鬼は外!と豆まきをいたしましょうか。
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